2012年3月20日火曜日

日本旅行の主流をなしているのはむしろ中国の中間層である。

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サーチナニュース  2012/03/20(火) 09:54
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0320&f=column_0320_005.shtml

ここが違う日本と中国(21)―明暗を分けた中間層

  訪日中国人観光客は東日本大震災の後、大幅に減少していたが、最近戻りつつあり、特に2012年の旧正月を境に順調に増えていることが、政府の統計やマスコミの報道などでわかる。

  日本人の中国人観光客に対するイメージといえば、おそらく「購買力が凄い」というのがもっとも大きいだろう。
  これをめぐって実は誤解も2つほど起きているようだ。
 誤解一、「中国人はみんな金持ちになった」ということ。
 誤解二、「日本に来ている中国人観光客はみんな金持ちだ」ということ。

  誤解一はちょっと考えてみると、そんなはずないとすぐ気づく。
  しかし、誤解二はもっとややこしいことのようだから、ここでは少し説明しておきたい。

  確かに訪日中国人観光客の多くは富裕層(金持ち)であるが、決してすべてが富裕層ではない。
 日本旅行の主流をなしているのはむしろ中間層である。
 具体的に職業別にみると、例えば太字公務員、教師、自営業者、企業従業員、農家などである。
 つまり、普通のサラリーマンなどはいま日本旅行しているということである。
 一見するとかなり意外なことだが、不思議ではない。

  自営業者や農家はさておき、普通のサラリーマンはなぜ日本旅行が可能かを検証してみよう。
  旅行は興味、経済力、時間という三要素が揃っていることが前提
 日本に興味を持っている中国人といえば、サラリーマンはもっとも多い。
 時間については以前のコラム(「国民の祝日」)でも書いたように、中国の一年間の休日数は日本を上回っており、特に大型連休は日本を圧倒している。
 また、一部ではあるが、有給休暇も制度的に設備されつつある。
 したがって、中国のサラリーマンは日本と違って、旅行のための時間がたっぷりある。

  そうすると、最大のポイントは、経済力は如何ほどかということになる。
 中国のサラリーマンは平均所得において日本のサラリーマンに遠く及ばない。
 しかし、一言にサラリーマンといっても、千差万別で、所得格差が大きく、なかには年収10万元(日本円にして125万円)以上の人もざらにいる。
 特に注意しないといけないことは、
 中国のサラリーマンは基本的に夫婦共働きで、子どもはほとんど一人っ子である
 家族構成は3人世帯、年収は二人分、ということを総合的に考えると、
 その可処分所得および購買力は想像以上のレベルにあり、日本の一般家庭には勝るとも劣らない。
  そんなサラリーマンたちは今どんどん海外旅行へ繰り出しており、日本を目指す人も少なくない。

  中国人の海外旅行者数は急速に増えており、ここ10年間は4.8倍も伸びた。
 国家観光局の統計によれば、2011年、その数は7025万人に達し、前年より22%も増えた。
 また、同局の予測によれば、2012年、その数は前年より12%増で7700万人にのぼる見込みである。
 その主役はかつての富裕層から中間層に変わっている。

  長年にわたる高度経済成長は国民所得を底上げし、富裕層を量産していると同時に、中間層にも厚みを持たせている。
  中国の中間層はいったいどのくらいいるのか。
 近年発表された数値を見ると、かなり大きい規模になっていることがわかる。

  経営コンサルティング大手のボストンコンサルティンググループ(BCG)が発表した研究報告によると、中国の中間層と富裕層の人数は現在の1億5千万人から、10年後には4億人を超える見込みで、うち約70%が小都市に住んでいると予想されるという(「新京報」2010年11月9日付)。
 同報告書が定義している中間層と富裕層は月収5000元以上の人である。

  また、市場マーケティング会社ユーロモニター・インターナショナルによると、中国では中間層が増加の一途をたどっており、2020年には7億人に達することが予想されるという。
 そのころ中国の総人口は14億5千万人に達する見通し。そうなれば、総人口に占める中間層の割合はあと10年で48%を超え、中国人の約半分が中間層であることになる(ウェブサイト「中国新聞網」2010年7月20日付)。
 ここで定義している中間層は年収1万1800~1万7700ドル(人民元にして約7万9945~11万9918元)の人である。

  ただし、中間層の定義や範囲は必ずしも明確ではない。
 基準もまちまちである。一応、所得、資産、職業、帰属意識などで測られるが、基準が統一されていないため、中国の中間層の規模もアバウトな数字しかない。
  それはともかくとして、中国では海外旅行可能な経済力を持つ人々はすでに多くなっており、今後も急速に増えることは間違いない。


  さて、日本はどうなっているかということだが、結論を先に述べると、日本の中間層も大きく様変わりしている。
 そして、中間層が勃興している中国とは対照的に、日本の中間層はむしろ縮小方向に傾いている。

  日本はバブル崩壊後、「失われた10年」「失われた20」に続き、さらに「失われた30年」に突入し始めたのではないかと囁かれている。
 この下り坂を辿ってきた結果、かつて「一億総中流」と形容されていた比較的平等な社会は崩壊し始め、富裕層と低所得層の二極化が加速し、中間層の多くは下層へと滑り落ちていくのだ。
  こうした中間層の凋落は、結局、階層分布にオリーブ型から麺棒型へという変化をもたらした。

  麺棒型というのは筆者の造語である。
 真中はやや太くなっているが、全体的にみて細長い形である。
 日本の階層分布はオリーブ型から麺棒型に変わりつつあり、中間部分がどんどん縮小していくことは大きな特徴である。

  近年日本では、ワーキングプアの増加や、貧困層の拡大などが大きな話題になって人々の関心を集めている。
 これらはいうまでもなく、今の日本社会に起きている深刻な状況である。
 一方で、中間層の衰微もほっておくわけにはいかない問題であるといえる。

  中間層の厚さが社会安定の度合いに直接つながるということは常識的で広く知られている。
 それだけではない。
 日本をはじめとする先進国では、中間層は納税者の主役であり、社会保障財源の担い手である。
 日本の「国民皆保険・皆年金」体制は「一億総中流」の階層分布とは切っても切れない関係にある。
 もっとはっきり言えば、所得格差はそれほど大きくなく、絶対多数の国民や労働者は一定以上の経済力があったからこそ、「国民皆保険・皆年金」体制を実現でき、何十年も維持してきた。

  昨今、日本の社会保障制度のほころびは目立ち始めている。
 児童手当や生活保護などは財源確保の課題を抱えており、特に年金、医療、介護、失業といった社会保険制度は所得格差の拡大によって生じた未加入者・保険料滞納者の増大に悩まされている。
 もちろん、社会保障財源の多くは勤労者の納めた税金で賄われているため、中間層の縮小は税金収入の減少につながり、そして社会保障の財政危機を招来する。
  要するに、格差社会の進行およびそれに伴う中間層の衰微はすでに社会保障の基盤を揺るがすという深刻な事態に至っている。

  最後の締めくくりとして、近年日本の海外旅行者数の推移を見てみよう。
  最多は2006年の1753.5万人を記録した。
 その後、減少に転じて、09年には1544.6万人まで減り、翌10年にはふたたび上昇し1663.7万人まで回復した(国土交通省観光庁ホームページ)。

  冒頭の中国人海外旅行者数の動向と比較すれば、日本は明らかに減速傾向を示している。
 この傾向は一時的に止まる可能性もあるが、ピーク時の1700万人を大きく超えることは無理。
 総人口の減少、中間層の縮小といったマイナス要素が続く限り、この予測は大きく外れないことはないだろう。

(執筆者:王文亮 金城学院大学教授  編集担当:サーチナ・メディア事業部)




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日本:社会に適応できない「ゆとり世代」の悲劇

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朝鮮日報 記事入力 : 2012/03/20 08:29
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/03/20/2012032000490.html

日本で社会に適応できない「ゆとり世代」の悲劇
大企業就職者の30%が2年で退職
「これは全て『ゆとり教育』のせいだ」

 2010年春に大学や短期大学を卒業した56万9000人のうち、19万9000人が中途退職したというNHKの調査結果が、19日報じられた。
 卒業後、就職できなかったり、アルバイトをしたりしている人は14万人に達した。

 このような結果について、不況も原因の一つだが、根本的に社会適応力が低い学生を量産した「ゆとり教育」のせいだという批判も多い。
 日本政府は、2002年から競争よりも創意性と自律性の強化を打ち立てた、ゆとり教育を導入した。
 ゆとり教育に従って学習内容を30%、授業時間を10%ほど減らし、絶対評価が導入された。
 ゆとり教育世代はそれ以前の世代に比べ、相対的に競争が少なく、ゆとりのある学校生活を送った。
 しかし、日本政府は07年、ゆとり教育によって学力が深刻なレベルまで低下したとして、ゆとり教育の廃止を宣言し、11年には完全に廃止となった。

 10年の大卒者は、まさにゆとり教育の第1世代。ゆとり世代の特徴は
 「自己主張と権利だけがあり、義務はない」
 「遅刻は日常茶飯事なのに、退社は定時に」
 「直接対話するよりも携帯メールで対話する」
などが挙げられる。
 ヨシダ・ジュンコ氏(39)は
 「新入社員たちは電話も取らず、人の話を話を聞かず、自分の話ばかりするなど、確かに違う世代だ」
と話した。

 しかし、このような意見はゆとり世代に対するいじめにすぎないという反論も多い。
 問題は個性を重視するゆとり世代ではなく、日本の集団主義的企業文化にあるという主張もある。
 また、中途退職率が高いのも、就職氷河期といわれるほど不況が深刻で、希望する職場に就職できないためだという分析もなされている。




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こんな盆栽、見たことない!

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ロケットニュース24 2012年3月20日
http://rocketnews24.com/2012/03/20/193108/

わあ、まるでおとぎ話の世界!
世界中で話題の
「盆栽アート」はどのように生まれたのか

 上の写真をご覧ください。
 1本の大木に造られた、巨大で精巧なツリーハウス。各々の部屋には灯がともり、まるで誰かが暮らしているかのような匂いすら感じられます。
 でもね、実はこれ、ツリーハウスではありません。なんと盆栽なのです!

 これからご紹介するのは、クラフト紙・プラスチック・石膏・アクリル樹脂などに塗装を施したミニチュア模型と盆栽を組み合わせた、世界で唯一無二の盆栽アート。

 このあまりにも繊細で、あまりにもドラマチックな作品を作り上げたのは、迷路作家・空間プロデューサー・アートディレクターなど様々な肩書を持つ、日本人アーティストの相羽高徳さんです。

 従来の盆栽に対する固定概念を覆すまったく新しい形の盆栽アートは、一体どのようにして生まれたのでしょう。
 作者である相羽さんにお話を伺ってまいりました。

 「私の作品には、幼少の頃の原体験が色濃く影響しております。
 盆栽作り、鉄道模型作り、そしてウォルト・ディズニー。
 近所の裏庭で楓の小枝を見つけては拾ってきて、空き缶にさし、一日中それを眺めていると、自らが小人になったかのような錯覚を覚えました。
 自分のイマジネーションを広げ、表現する術は幼少の頃から始まっていたのかもしれません」

 遊びを通して「自分だけの小宇宙」を作り出す楽しさを覚え、その中で遊ぶことの幸せを多くの人と共有したいと願った相羽さん。
 彼のクリエイティビティーの全てはこの幼少の頃の原体験にあるといっても過言ではないようです。

 相羽さんの作品には、それぞれテーマが掲げられています。

 例えば水石をモチーフにした作品『The Rock Island』や『Lighthouse A,B』は岩島のリゾート、アンティークなパイナップル缶をモチーフにした『Hawaiian Pineapple Resort』は新しいハワイのリゾートを、イメージしているのだとか。

 「木・岩・缶・フィギュア・アイスクリームの箱といった特定のオブジェから連想されるリゾートのキーワードを抽出し、頭の中でそのキーワードを一度ミックスする。
 その後盆景の手法を用いて、新たな世界観をもったリゾート地を生み出す。
 私の作品にはこのような考えが根底に流れています」
と相羽さん。

 細部までとことんこだわった盆栽アートをひとつ完成させるまでには、早いもので3カ月、長いものでは1年もかかるのだそう。
 気が遠くなるような作業ですが、相羽さん曰く
 「頭の中にあるイメージを具現化する為には最大限の努力は惜しまない」
のだとか。

 「小さな空間に勇壮な自然の息吹きを吹き込む日本の伝統的美意識が反映された盆栽は、私のイマジネーション、世界観、ストーリー性を表現するのに最も適した題材です」

 盆栽が持つ
 「敷居が高い」
 「若者には無縁」
といったイメージを鮮やかに飛び越えた、相羽さんの作品。
 それでは皆様。
 世界が驚きと賞賛の声をあげ、アートの可能性を確実に広げたであろう見事な盆栽アートをじっくりとご堪能くださいませ。

寄稿:Pouch
参照元:tokyogoodidea.com




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被災地で自衛隊がアメリカ海兵隊に後れを取った理由

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●気仙沼大島に上陸した海兵隊員たち


●強襲揚陸艦から海兵隊員を乗せて気仙沼大島に向かう米海軍揚陸艇




JB press 2012.03.15(木)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34746

被災地で自衛隊がアメリカ海兵隊に後れを取った理由
美談だけで済ませてはいけない「震災と自衛隊」
[北村 淳]


 「自衛隊との連携は概ね大成功であり、今後発動されるであろうアジア太平洋地域における人道支援・災害救助(HA/DR活動)における日米共同作戦が順調に実施できることを確信している(注:HA=Humanitarian Assistance、DR=Disaster Relief)。
 自衛隊は大活躍したと思う。
 とりわけ、震災津波被災地への10万名の緊急動員に対処した折木統幕長のリーダーシップは極めて優れていた。
 また原発事故対処でも、聞くところによると初期対応に逡巡していた政府を説得して果敢にヘリコプターを出動させた決断は見事で、彼こそナショナルヒーローとして高く評価されたのだろう?」

 東日本大震災救援のために自衛隊と実施した共同作戦であるトモダチ作戦に指揮下の第31海兵遠征隊をはじめとする諸部隊を投入したアメリカ海兵隊太平洋海兵隊司令官ティーセン(Thiessen)中将は、このようにトモダチ作戦を振り返って筆者に語った。

 自衛隊とは何の関係もない一個人との私的会話である以上、中将の言葉は「外交辞令」などではなく、強大な太平洋海兵隊を指揮する軍人の率直な感想と考えて差し支えない。

 このような評価をアメリカ海兵隊最高首脳の1人が口にしているからには、国防総省はもとより国務省やホワイトハウスの高官たちも日本側の「しかるべき人々」に対して同様の評価を口にしているはずである。

 そのような賛辞を受けた日本側は「アメリカ軍も自衛隊の活動を高く評価している」と自衛隊の活躍を再評価することになるのであろうが、災害救援活動それ自体に対する評価と、その後の対応に対する評価とは無関係であることまでは、おそらく誰も口にしないであろう。

 つまり、作戦実施後に教訓を引き出し、それらをもとに将来への備えを開始する過程まで含めて、作戦の評価をしなければならないという軍事常識に従うならば、
 「東日本大震災に対する救援活動は概ね成功であった」と満足できるのであろうか?

 果たして、教訓を真摯に引き出したのであろうか? 
 教訓を生かすべき施策が具体的に始動しているのであろうか?

■米国の真の軍人が抱く疑問、自衛隊は軍事的教訓を得たのか


 上記のティーセン将軍の評価と似通った感想を、実際にトモダチ作戦に参加し指揮を執った海兵隊や海軍の将校たちは口にする。
 しかし、そのような賛辞と平行して、救援活動から得るべき教訓や教訓に対する対処状況に関する疑問なども指摘している。

 そしてイラクやアフガニスタンでの戦闘を体験している真の軍人である彼らは、未曾有の大災害に対して空前の規模で出動し大いに活躍した自衛隊の諸活動や救援態勢や組織構造から、日本の国防にとって有用な様々な軍事的疑問を投げかけた。

 それらの中には、「日本はいかにして防衛すべきなのか」といった大戦略に関するものから具体的な組織論や装備の問題に至るまで幅広い疑問が含まれている。

 いくつかを例示してみよう。

(1)防衛当局による軍事的諸判断を待たずに、政府首脳が一方的に10万人動員を命令したが、そうした統制に対する反省はなされているのか?

(2)自衛隊員に対する食料補給や個人装備の質・量といったロジスティックスが貧弱であり、救援現場の隊員たちの「精神力」と「自己犠牲」に負うところが少なくなかった。
 これでは、まるで第2次世界大戦中に質・量ともに貧弱な装備と食料・弾薬の欠乏のために悲惨な運命をたどった帝国陸軍兵士の現代版ではないのか?

(3)ちょうど横須賀を母港とする米海軍空母は震災当時に整備中で出動できなかった。
 だが、運良く、別の空母が日本近海を通りかかったため、救援活動に参加するとともに、日本周辺に対する睨みを利かせることができた。
 このような抑止能力の現状についての議論が巻き起こっているのか?

(4)アメリカ軍の「CBRNE被害管理即応部隊」(CCMRF)のような対放射能汚染攻撃戦能力を保持していない自衛隊には、福島第一原発事故周辺の放射能汚染地域に急行して震災被災者を救出する活動はできず、それらの被災者を見殺しにせざるを得なかった(注:CBRNEとは、化学兵器・生物兵器・放射性物質兵器・核兵器・高性能爆薬を意味する)。自衛隊ではCBRNE事案対処部隊の構築は進んでいるのか?

(5)「『併用戦能力』(amphibious capability)が全くと言ってよいほど欠落している自衛隊」の救援部隊は、内陸部から沿岸域・海岸線の被災地に到達せざるを得なかった。
 そのため、本格的救援活動開始には長時間が必要となった。
 また、孤島化した離島や陸のスポットでの救援活動はアメリカ海兵隊が駆けつけるまで実施されなかった事例もある。
 日本独自の併用戦能力構築に向けての具体的進捗はあるのか?

 これら以外にも様々な疑問が投げかけられたが、本稿では、最も話題の中心となったアメリカ海兵隊の「お家芸」である併用戦能力に関して引き出すべき教訓についてのみ記述する。


■アメリカ海兵隊頼みの「併用戦能力」

 「併用戦能力」とは、
 海に浮かぶ発進拠点(通常、揚陸艦という軍艦)から揚陸艇、水陸両用強襲車、ヘリコプターなどを用いて陸上戦闘部隊を陸地に到達させて、海岸部から内陸部にかけての陸上作戦を実施する能力
を意味する。

 陸上戦闘部隊が陸地にアクセスを開始してから陸上での作戦が完了するまでの期間、海上の軍艦からは敵に対するミサイル攻撃を加えたり、ヘリコプターや攻撃機で敵を攻撃したり、海岸や内陸で活動する部隊に対する補給活動を継続的に加える。

 このように、併用戦能力は、陸上戦闘部隊を目的地沖合まで搬送し、作戦中は部隊を支援する能力を持った海軍部隊と、海上から海と空を経由して陸地にアクセスし、作戦を実施し、自前で補給活動も行う陸上戦闘部隊とから構成されている。

 前者は海軍が担当し、アメリカ海軍の場合は、このような作戦に特化した水陸両用戦隊という部隊を保持している。
 後者のエキスパートは、国によって呼称は様々であるが、海兵隊、海軍陸戦隊、あるいは海軍歩兵と呼ぶ。

 「海から海と空を経由して陸地にアクセスする」併用戦能力は、
 海岸線や島嶼を有する国家の防衛にとっては不可欠な軍事力である。
 したがって、それらの国々の大多数が
 「海兵隊」「海軍陸戦隊」「海軍歩兵」(以下、総称して海兵隊と記す)を保有している。

 ところが、典型的な島嶼国家であり長大な海岸線と多数の島嶼を保有する
 日本には、海兵隊という組織はもとより併用戦能力自体が存在していない
 その軍事的欠缺を穴埋めするために、沖縄を中心にアメリカ海兵隊第3海兵遠征軍の部隊が駐留している。

 逆説的に言うと、アメリカ海兵隊が日本に存在しているから、日本防衛当局は併用戦能力の構築を怠ってきたことになる。

■自衛隊はなぜ海兵隊に後れを取ったのか

 「日本自身が併用戦能力を欠いている」
という実情が日本の国防にとり重大な不安をもたらすということを素人目にも明らかに示したのが、東日本大震災の救援活動であった。

 海岸線のみならず内陸深くまでの沿岸地域の交通網が地震と津波で壊滅したため、内陸部から沿岸部にアクセスする大陸陸軍的能力を特徴とする陸上自衛隊部隊による被災地への救援活動は困難を極めてしまった。

 実際に、離島部や陸の孤島化してしまった地域に自衛隊の本格的な救援部隊が到達するには、長い時日を要してしまった(東日本大震災に際してのアメリカ軍の救援活動に関しては、拙著『写真で見るトモダチ作戦』を参照されたい)。

 例えば、気仙沼市の沖合に浮かぶ気仙沼大島へ本格的な救援部隊が上陸したのは3月27日であり、その部隊は自衛隊ではなくアメリカ海兵隊第31海兵遠征隊であった。

 実は、震災発生当時、沖縄に駐留しているアメリカ海兵隊の実動部隊である第31海兵遠征隊と、佐世保を母港とするアメリカ海軍の水陸両用戦隊の主力は、東南アジアでの人道支援活動に従事中であった。
 震災発生翌朝にはマレーシアやシンガポールから日本へ向けて急行を開始したアメリカ海軍水陸両用戦隊・アメリカ海兵隊は1週間後には秋田沖に到着し、ヘリコプターによる救援活動を開始した(これ以前にも、震災発生直後から、在日米海軍、海兵隊、空軍の航空機、艦艇による救援活動であるトモダチ作戦は実施されていた)。


 海兵隊部隊は秋田沖から三陸沖に進出して、「海から海と空を経由して陸にアクセスする」併用戦能力を生かした救援活動を実施したが、日本政府側の“調整”が手間取るなどして、海兵隊が気仙沼大島のような孤立地点を“認識”して上陸救援部隊を差し向けたのは3月27日になってからであった。

 これ以前にも、併用戦能力を持たない自衛隊は、北海道に駐屯する陸上自衛隊部隊と多数の軍用車両を、青森県側に海を渡って被災地救援のために移送することができなかった。

 そこで、東南アジア遠征には出動せずに韓国軍との演習のために韓国浦項港に入港していたアメリカ海軍揚陸艦トーテュガ(母港は佐世保)が苫小牧港に急行して(3月17日)、陸上自衛隊員300名と軍用車両100両を青森県へと搬送した。

 要するに、併用戦能力を全く持たない自衛隊には、港湾施設が復旧してフェリーなどが就航するまでは、大部隊の海を越えての移動はもとより、気仙沼大島のような孤島にはある程度の規模の救援部隊を送り込むことができないのである。

 これを軍事的局面に置き換えてみるとどうなるか。
 外敵侵攻部隊が、例えば宮古島を占拠した場合を想定してみよう。

 気仙沼市から僅か1キロメートルと離れていない気仙沼大島へすら到達できない自衛隊には、
 那覇港から直線距離でおよそ300キロメートル離れた宮古島へ奪還部隊を送り込むことなどできぬ相談ということになる。
 もっとも、海上自衛隊並びに陸上自衛隊合同の併用戦訓練を実施していない自衛隊には、戦時下において本格的戦闘部隊を沖縄へ急送することすら不可能と考えざるを得ない。

 このように、防衛省などは「島嶼防衛」の重要性を口にしているものの、現状では、アメリカ軍に全面的に依存している軍事的幼児状態なのである。

■日本国防当局は自らの責務を果たせ

 大震災に際して発動されたトモダチ作戦は、確かに日米同盟にとっては明るい話題ではあった。
 しかし、それ以後も各種軍事作戦やHA/DR作戦に多数の部隊を投入し続けているアメリカ軍にとっては「One of them」の出来事であり、「トモダチ作戦の成功=日米同盟の深化」といった単純な図式とはほど遠い。

 それよりも、トモダチ作戦実施過程や事後の検討によって得られた教訓を将来に生かせる作業を日米双方が進めることこそが、トモダチ作戦を日米同盟の深化につなげるためには必要である。

 しかしながら、大震災から1年を経過したにもかかわらず、防衛当局をはじめとする日本政府は震災救援活動から得た軍事的教訓を生かすための施策を示した形跡はなく、国会も大震災と国防を結びつけて国民の安全を図ろうとする努力を欠いている。
 防衛問題と言えばローカルポリティックスないしは不動産問題と、アメリカ側が考えている普天間・辺野古の問題に終始しているていたらくである。

 いくらアメリカの軍人たちが、東日本大震災後の日本の救援活動を分析して様々な軍事的教訓を導き出しても、それらを日本に教えてくれはしない。
 日本防衛当局は自からの分析によりそのような教訓を導き出し、将来の国防に生かすべきであり、それこそが戦闘という軍隊の主たる責務を果たす機会に直面したことのない防衛省・自衛隊にとって唯一の軍事的責務の遂行である。

 本稿では、東日本大震災救援活動から得られる軍事的教訓のうち「併用戦能力の欠落」という項目だけを指摘したのだが、
 「日本が自前の併用戦能力を保持するならば、どのようにして構築すべきなのか?」
 「どの程度の規模が必要なのか?」
といった分析も、日本防衛当局による問題提起がなされていない以上、引き続き紹介しなければなるまい。

 また、これ以外の
 「東日本大震災から引き出すべき軍事的教訓」
も日本の国防にとっては極めて深刻であるため、引き続き稿を改めて論じてみることにしたい。




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予告:ウォール街がクラッシュする

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ウォールストリートジャーナル 2012年 3月 14日 21:29 JST
http://jp.wsj.com/Finance-Markets/Stock-Markets/node_408043

【コラム】ウォール街がクラッシュする10の理由

 【サンルイスオビスポ(米カリフォルニア州)】
 そう、ウォール・ストリートはクラッシュする。間違いない。
 彼らはギャンブル中毒なのだ。
 2008年の危機は切り抜けたが、彼らは何ひとつ学ばなかった。
 それどころか改革を潰し、富豪や企業の最高経営責任者(CEO)、ロビイスト、政治家とぐるになった。
 クラッシュは時間の問題だ。

 そうだ、またもやクラッシュだ。
 景気の回復が弱かろうが、納税者にこれ以上債務のしわ寄せが行こうが、関係ない。
 大統領が誰であろうとだ。
 クラッシュする。

 ウォール街がどん底に落ちるとなぜ分かるのか。
 まず、アメリカ人の大半は、誰かしら中毒症状に陥った人を知っている。
 私もかなり前、ベティ・フォード・センターなどの治療施設で、麻薬やアルコール、ギャンブルの中毒患者を助ける専門家として、数百人もの患者を最前列で見たことがある。

 そこで分かったのは、
 第一にこともあろうに、ウォール街の行動は、他の中毒患者と何ら変わらない、ということだ。
 彼らは現実から目をそらし、家族や友人、健康、キャリア、母国アメリカでさえも壊そうとして止めない。
 彼らは、ギャンブルにのめり込み、憑りつかれ、何も見えず、中毒になっている。

 第二に、ガイトナー財務長官とその妻が我々に警告した。
 ティム・ガイトナー氏は、ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)への最近の寄稿「Financial Crisis Amnesia(金融危機健忘症)」で、ウォール街とその関係者がいかに中毒で愚かであるかをはっきりと示した。
 ガイトナー氏は妻についてこう書いている。
 「金融関係者やロビイストが金融改革を批判する記事を読むたびに、私の妻は新聞から顔を上げ、困惑を隠さない」

 そう、ウォール街は健忘症だ。
 金融危機の教訓と数百万人のアメリカ人に与えた損害を否定し、それらが見えない重症患者だ。
 同じことはまた起きる。
 それもすぐに。
 なぜなら、財務長官の「診断」によれば、
 「健忘症は、金融危機の原因となる」
からだ。

ウォール街にはギャンブル中毒者の10の特徴がある

 ウォール街はクラッシュする必要がある。
 そして底入れする。
 ウォール街が前に進もうとしないため、アメリカ経済はリセットできないでいる。
 だから今、ここで完全な診断をやろうではないか。
 この自滅的な中毒患者には、10の特徴がある。
 「ボルカールールとの戦い」のような、現在ウォール街で起きていることについて考える。
 また、ウォール街全体の精神状態がなぜそれほど悪化し、2008年よりも深刻なクラッシュに向かっているのかについても考えなければならない。
 
 今日は、ウォール街の10の特徴について検証してみよう。

1. 健忘症2008年のメルトダウン以降、ウォール街は記憶喪失
 まずは、ウォール街は健忘症、とのガイトナー財務長官の診断から始めよう。
 銀行には、危機が行き過ぎたことについて記憶がない。
 経済の予防措置を上回るリスクの積み上がりを許すと、何が起こるのかを忘れてしまっている。
 健忘症は、ウォール街の耳をふさぐ。
 銀行関係者の思考は近視眼的で、長期的なコストをゼロにし、納税者と将来世代にツケを回せると思い込んでいる。

2. 過剰な楽観主義:ウォール街のカジノは次のメガバブルを育成中
 ダウ工業株平均が1万1722ドルの高値を付けた2000年のネットバブル以来、1万3000ドル近辺で推移する現在まで、ウォール街は、インフレ調整後ベースで約20%の年金資金のリターンを失った。
 エコノミストのゲイリー・シリング氏は、次の10年はゼロ成長を予測する。
 ノリエル・ルービニ氏は、暗黒の10年を警告。
 ピムコのビル・グロス氏はリターン低下という長期の「ニューノーマル」を見込む。
 それでもウォール街は夢の世界にいる。
 警告の兆しを無視し、大型の株式新規公開(IPO)を進めている。
 これには注意が必要だ。

3. 未熟ひどいナルシスト、子どものような大人
 そう、ウォール街は未熟な子どもだ。
 アルコール中毒者更生会のメンバーは、それを
 「キングベイビー症候群」(大人になれない人)
と呼ぶ。
 キングベイビーは、欲しい物は今すぐ欲しい。
 昨今の政治家のように譲歩を知らない。
 ラリー・コトリコフ氏とスコット・バーンズ氏は、著書『The Coming Generational Storm』(『破産する未来 少子高齢化と米国経済』:日本経済新聞社)で、多額の借金を次世代に先送りすることについて警鐘を鳴らした。
 結局、その世代は、70兆ドルの債務に反旗を翻すだろう。
 そして、ウォール街の浪費中毒は、「アラブの春」が取るに足らないと思われるほどの「革命」に直面するだろう。

4. 欲深さ有名なセリフ「欲は善」は、ウォール街の賭博師のためにある
 マイケル・ダグラスは、映画『ウォール街』の中で「欲は善」と言い放った――この有名なセリフが今、かつてないほど真実味を帯びている。
 また、バンガードの創業者、ジャック・ボーグル氏は、自身の著作『Battle for the Soul of Capitalism』(『米国はどこで道を誤ったか』:東洋経済新報社)で、抑制のきかない強欲の害と正面から向き合った。
 今、ウォール街は、魂のない、道徳を欠いた、自分達さえよければ良いという文化だ。
 倫理や高潔、信認義務はどこへ消えたのか。
 投資家は二の次、インサイダーが最優先の世の中。
 金融市場が地に落ち、暴落するまで何も変わらない。
 そうなって初めてわれわれは、1930年代のようなウォール街の真の改革に着手できる。

5. 虚言癖ウォール街を信用するな
 アルコール中毒者更生会のメンバーは、アルコール中毒患者の嘘を唇の震えで見分けるという。
 ウォール街で言われていることを信じてはいけない。
 なぜ、そういった嘘の文化なのか。
 簡単だ。
 「investors come first(投資家第一)」とか「you can trust us(我々にお任せください)」とか、幻想を作り出すためだ。
 彼らが唯一、忠実なのはインサイダーである。
 それ以上、それ以下でもない。
 キャロル・ガイトナー氏はその幻想を見破ったのだ。

6. 飽くなき追求これで満足、ということはない
 ウォール街は、すでに引き返せないところまできている。
 歯止めの効かなくなった中毒患者は、地獄を見なければならない。
 『アメリカン・マニア』の著者で精神科医、ピーター・ワイブロー氏は、
 アメリカが「中毒の国」であり、欲望は決して尽きることがないと言う。
 毎年債務が増え、多額のボーナスはあるにも関わらず、貯蓄はゼロ。
 銀行は救済され、米連邦準備理事会(FRB)は金融市場に安価なマネーを供給する。
 改革はいらない。
 グラス・スティーガル法への回帰は役立つかもしれないが、中毒患者がベティ・フォード・センターを忌み嫌うように、ウォール街もそれを嫌っている。

7. 男らしさ:事実がどうであれ、失敗を認めることはできない
 中毒患者には、自分の欠点がみえないものだ。
 ラリー・ボシディ氏とラム・チャランは、『Confronting Reality』(『今、現実をつかまえろ!』:日本経済新聞社)で、ビジネスと株主に対する一貫した最大のダメージは、経営のまずさではなく、現実に向き合わない姿勢によってもたらされる結末だと警告している。
 ウォール街のインサイダーたちと同様、致命的な誤りを認めることができない。
 モラルの欠如も、2008年の暴落を招いた最悪の判断ミスも認めない。
 彼らは、自分達の誤りが見えないのだ。

8. 予測不可能ウォール街の賭博師は先が読めない
 ジェレミー・シーゲル氏は、『Stocks for the Long Run』(『株式投資長期投資で成功するための完全ガイド』:日経BP社)で1801年から2000年の市場を研究、マーケットは変則的であるという結論を得た。
 長期的な上昇・下落のきっかけとなった動きの75%に、明確な理由がなかったのだ。
 ウォール街はクラッシュを予想できないが、作ることはできる。

9. 非合理:ウォール街は投資家の非合理で儲ける
 行動経済学は、ノーベル賞受賞エコノミスト、ダニエル・カーネマン氏の「投資家は非合理的」との理論に基づく投資判断の心理学だ。
 それは2002年の話だが、いまだに投資家はプロ、素人に関わらず非合理的だ。
 それでも我々は、自らが合理的判断を下していると思っている。
 行動ファイナンス学の大家、リチャード・ターラー氏がかつて、
 「理性と情報を欠いたり、変わった志向を持ち合わせていたり、何らかの理由で高すぎる資産を持ちたがったりする投資家がウォール街には必要」
と指摘したように、世間知らずの一般投資家の非合理性がウォール街を金持ちにするのである。

10. 近視眼的:長期見通しの欠如が暴落招く
 ウォール街が近視眼的な考え方にとらわれるなら、次のクラッシュは確実だ。
 だが、都合の悪いことに、この性質は、グローバル悲劇をお膳立てし、資本主義思想を自滅に追いやる。
 ジャレッド・ダイアモンド氏は、『Collapse: How Societies Choose to Fail or Succeed』(『文明崩壊滅亡と存続の命運を分けるもの』草思社)のなかで、
 歴史を通じて生き残った文化とは、危機よりもはるかに前に長期計画に取り組んだ文化だった
と指摘する。
 一方、失敗に終わった社会とは、
 リーダーが、3カ月もすれば危機で吹き飛ぶと思われるような問題にのみ集中する社会
だという。
 四半期利益や年間ボーナス、ボルカールール反対、改革反対、尽きることのない欲求に捉われるウォール街の姿がこれに重なるではないか。

 さて、読者によるウォール街の「中毒診断スコア」はどうだっただろうか。
 おそらく10項目すべてがあてはまる「パーフェクト」だったのではないか。
 ウォール街のインサイダーにべティー・フォード・センターでのギャンブル中毒治療が必要なのは、言うまでもないことである。

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記者: Paul B. Farrell






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2012年3月19日月曜日

日本を滅ぼす超高齢社会

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サーチナニュース 2012/03/19(月) 10:05
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0319&f=column_0319_006.shtml

日本を滅ぼす超高齢社会
衝撃的な将来人口推計[忘れ去られた『種の存続』]

  日本の運命は超高齢社会の行方にかかっている。
 この「闇の深淵」への突進にブレーキをかけなければ、日本は滅ぶ。

  これは、私がこのシリーズを執筆するにあたって冒頭で述べておきたい結論である。
  今年1月30日、国立社会保障・人口問題研究所はふたたび衝撃的な将来人口推計を発表した。

  「衝撃的」といった理由は改めて強調する必要もないかもしれないが、
 以下の3点に集約される。

①. 第一に、日本の総人口は減少の一途を辿る。
 いや、それどころか、がくんと減ることになる。

  日本の総人口は2010年には1億2806万人で、世界でも10本の指に入る人口大国である。
 しかし、2005年に始まった人口減少は一向に止まらず、30年に1億1662万人となり、48年には1億人を割って9913万人となり、60年には8674万人になるものと推計される。
 つまり、2060年までの50年間で、日本の総人口は4132万人も減ってしまう。
 比率で言うと、約3分の1相当(32.3%)の人口がこれから消えていくというのだ。

  これは世界範囲で見ても、類例のない異常現象としかいいようがない。

  人類の歴史が証明したように、人口が大幅に減るような国は滅ぶ可能性が極めて高い。
 日本はその二の舞にならない保証はどこにもない。

②. 第二に、人口構造の高齢化はより一層進み、年少人口・生産年齢人口と老年人口の逆転現象が起きる。

  65歳以上を高齢者、あるいは老年人口と呼ぶのに対して、0~14歳を年少人口、15~64歳を生産年齢人口としている。
  まず、この三者の総人口に占める比率をみてみよう。
 2010年、年少人口は全体の13.1%、生産年齢人口は63.8%、老年人口は23.0%だったが、50年後の2060年には、年少人口は9.1%、生産年齢人口は50.9%、老年人口は39.9%へと推移していくことになる。
 特に日常生活のなかでよくいわれる高齢化率はなんと39.9%にもなってしまう。
 つまり、10人中、4人は高齢者ということだ。

  次は、この三者の数の変化である。
 2010年、年少人口は1684万人、生産年齢人口は8173万人、老年人口は2948万人だった。
 しかし、50年後の2060年になると、それぞれ791万人、4418万人、3464万人へと変わる見通しである。
 つまり、老年人口が516万人増える(増加率17.5%)一方、年少人口は893万人、生産年齢人口は3755万人も減少する。両者はいずれも半減するという計算である。

  生産年齢人口は文字通り、経済活動の主役で、生活の必需品をはじめ人びとが生きていくために欠かせないものを創り出す原動力である。
 そして年少人口は未来の生産年齢人口になる。
 働く人、およびその予備軍がこれほど少なくなると、その国は滅びを免れがたいと思われても仕方ない。

③. 第三に、合計特殊出生率は低いままで推移し、上向く可能性がない。

  合計特殊出生率は、一人の女性が一生に産む子供の平均数を示す指標である。
 移民の流出入がなく、死亡率が減少しないという仮定のもとで、女性一人当たり2.1という合計特殊出生率は人口の長期的な安定性を確保することになる。
 それを下回れば、将来、人口の減少が起きる。

  周知のとおり、日本の合計特殊出生率は先進国のなかで最低水準である。
 今回の推計によれば、今後も低いままで推移していくと見られる。
 具体的に、2010年に1.39だった合計特殊出生率は2024年に最低値1.33を経て、長期的には1.35に収束する。

  相当厳しい数値だなと誰しも感じるだろう。
 それにしても、この推計は甘すぎる。
  歴史を振り返ってみよう。
 1989年に急落した「1.57ショック」をきっかけに政府は少子 化対策に取り組んできた。
 しかし、効果はほとんどなく、その後も下降線を辿っていった。
 2005年には史上最低の1.26まで落ち込んだ。
 2010年の1.39まで回復したのはまさに奇跡だった。

  同じ東アジアの国・地域を見渡すと、日本より低いところは結構ある。
 たとえば、隣の韓国は1.19(2009年)、台湾は1.0(2010年)、シンガポールは1.22(2009年)の低水準である。
 これらの国・地域はいずれも儒教の影響が強いのに、ここまで下落してきたわけだから、日本はそこまで行かない保証はないと断言したい。

  また、合計特殊出生率は人口の年齢構造に依存するというわけではないが、出産のタイミングの変化によって影響を受けるとされる。
 このことは「母親の平均初産年齢」によって測定される。
 日本の初婚年齢の上昇につれて、女性の初産年齢もどんどん高くなっている。
 初産年齢が高まると、産む(産める)子どもの数が減るのは必至である。
 なのに、なぜ日本の合計特殊出産率は1.35に収束するといえるのか、国立社会保障・人口問題研究所の推計は説得力が著しく欠けている。

  ところで、この人口動態は何を意味するかというと、
 「日本は滅亡する」という一言に尽きる。

  決して大袈裟なことを言って人を脅しているわけではない。
  まず、経済活動に従事する人の数が大幅に減少するにつれて、経済規模は縮小し、生産と消費の活力は萎み、生活必需品の賄いでさえ困難な状況に陥る。

  次に、社会保障・福祉、教育などの財源になる税金と社会保険料を納める人が完全に不足する。
 50年後、日本の社会保障制度、特に「国民皆保険・皆年金」体制、および教育システムは間違いなく崩壊してしまう。

  第三に、国の防衛を担う若者がいなくなる。
 その際、日米同盟を解消するどころか、むしろアメリカ軍に守ってもらうしかない。
 将来の日本はますますアメリカの言いなりになることは火を見るよりも明らかだ。

  国立社会保障・人口問題研究所の推計は社会政策や移民政策が根本的に変わらないことを前提に行っている。
 このままでは、日本は確実にこのようなとんでもない社会へ突入していく。

  「税と社会保障の一体改革」を議論する際、
 政治家、官僚、そして国民はなぜ、国家存亡の危機感を共有しないのか、
本当に不思議でしょうがない

  日本は世界屈指の人口大国であり、先進国のなかでもアメリカに次ぐ規模の人口を擁する。
 50年後には総人口が8000万人程度まで減少しても十分やっていける。
 なのに、いったいなぜ「滅ぶ」と言うんだい?

  確かに、もっとも豊かな国々は、総人口はそれほど多くない。
 日本人が憧れている北欧諸国の人口もだいたい数百万人程度。
 ほかに、地球上、人口数十万人の国もある。
 近年「世界一幸せな国」と言われ注目を集めているブータンは約70万人しかない。

  国として成り立つ条件は、人口の数ではない。
 しかし、総人口はわずか半世紀間で3分の2まで急減、国民10人中4人が高齢者というような国は、国として成り立たなくなる。
 その意味で、「日本は滅ぶ」と言っている。

  日本以外の先進国の多く、あるいは中国など一部の発展途上国も高齢化が進んでいる。
 ただし、これほど「闇の深淵」へ突進している国はどこにもない。
 高齢化率が日本に近似する先進国もあるものの、いずれも移民政策を確立しており、移民の受け入れによって自国の人口数や人口構造を調整することが可能だ。

  人口数の急減と人口構造の超高齢化を招いたのは、結婚しない、子どもを産まないことである。

  われわれは動物の頂点に達した人類であり、私たちの中には生き物すべてが持っている「種の存続」という根本的な本能があるといわれている。

  人間の根本的な本能といえば、食欲と性欲である。

  中国の哲学者・孟子は2000年前に「食、色、性なり」という名言を残した。
 「食」とは食べること、「色」は性欲を満たすこと、「性」とは本性、つまり本能である。
 食べることと性欲を満たすことは人間の根本的な本能である。
 このごく当たり前のことを端的に言い表しているのだ。

  われわれ個・個人の存続は食べることが欠かせない。
 そして人類あるいは人間社会の存続、つまり、「種の存続」は性欲を満たす、およびそれに伴い子孫を残すことなしではありえない。

  ところが、奇妙なことに、最近の日本では、「草食系」「セックスレス」といった流行語が示すように、人間の根本的な本能がどんどん弱まっているように見える。
 しかもマスコミや出版業界などはほとんど興味本位でそれらを取り扱っているだけで、「種の存続」と結び付けて議論することはまったくない。

  現代社会、とりわけ民主主義の国では、個人の自由が最大限に尊重される。
 言い換えれば、個人の自由の尊重は現代社会の基盤である。
 人間の根本的な本能をどう満たすべきか、あるいはどう位置づけるかなども、基本的に個人の自由という範疇の問題になる。

  その意味で、結婚(するかしないか)、出産(産むか産まないか、何人産むか)といったことも基本的に個人の判断に任されるべきことといえる。

  とはいうものの、こういった個人の自由は果たして無条件で認められるべき絶対的な価値なのか、これをめぐってはすでに無数の議論が行われてきた。
 ここでは、「種の存続」という視点から、日本の超高齢社会を考えてみる。

  「種の存続」については実はいろいろな誤解がある。

  子孫繁栄のことを言っているだろう。
 遠い将来のことだから、いまの私と関係ない。
  私が結婚、出産しなくても、他人が結婚し、子どもを産むから、大丈夫だよ。

  本当にそうなのか。
 「種の存続」は将来のことでもなければ、他人のことでもない。
 一人ひとり、人間すべてが関わり、それを可能にしなければならないことである。
 例として社会保障を挙げてみよう。

  現代社会では、「種の存続」を可能にするファクターは社会保障ほど重要なものはない。
 社会保障といっても、漠然とした言葉で、
 「社会保障って私はほんとうに使っているの?」
と思う人さえいる。
 ご安心ください、あなたも使っている。
 子どもなら、お母さんのお腹にいた時に検診を受けていたし、今や学校保健や医療サービスを使っている。
 それらはすべて社会保障の一部である。若者や中高年層、高齢者もみんな程度や制度の違いこそあれ、利用している。
 生活保護、健康保険、雇用保険、労災保険、年金保険、介護保険、児童手当、福祉サービス、等々、すべてが社会保障のなかに入っている。

  最近、
 「税金はどこでどうやって使われているかわからない。
 だから、払いたくない」
という声がよく聞こえる。
 行政側の説明は十分でないということもあるが、国民として勉強不足という点もしっかり反省しなければならない。
 上下水道、市営バス、公立学校など、われわれの毎日の生活を支えてくれている公共サービスは税金で賄われている。
 役所に行って書類を発行してもらったり、福祉サービスの種類や手続きを案内してもらったりする。
 そこで働く職員の給料も税金から支払われている。
 インターネットで調べればわかるようなこともずいぶんと多い。

  社会保障は様々な制度を実施するために、財源を必要とする。
 その財源は税金と社会保険料に大別される。
 税金にしろ、社会保険料にしろ、空から降ってきたものではなく、人が納めるものである。
 納める人がいなかったら、あるいは少なくなったら、社会保障はガタガタとなり、崩壊する。

  社会保障財源の確保はますます困難な状況になっている。
 そんななか、借金(国債)を増やす以外に、制度間の調整、つまり、この部分を削ってほかのところへ持っていく。
 これは現在日本政府が必死でやっていることである。
 しかし、こんなやり繰りをいくらしても、財源減少という現実はまったく変わらない。

  社会保障崩壊の危機は一時的には一部の国民に影響を及ぼす。
 例えば、生活保護の適正化がより一層進められ、生活保護を受けられる人が少なくなる。
 あるいは、年金財政の深刻化に伴い、年金給付額が引き下げられる。しかし、その影響はやがてすべての制度、すべての国民に広がるはずである。

  いまは社会保障なしで生きていけない時代。
 日本ではほとんどすべての人が何らかの形で社会保障を受けて暮らしている。
 社会保障の崩壊は何を意味するか、端的に言えば、生活の崩壊、社会システムの崩壊、国家の崩壊である。
 この崩壊はすでに始まっており、このままでは日本人として「種の存続」すら脅かされるのだ。

  しかし、「種の存続」って生物学や人類学、人口学の人が考えることではないかという人も大勢いる。
 それは違うと思う。
 実際、社会保障の角度から見ても明らかなように、「種の存続」を意識しつつ自分の行動を決める、そんな時代はすでに来ている。
 それはまさに「個人の自由」と「種の存続」の葛藤から逃避できなくなったともいうべき時代だ。

(執筆者:王文亮 金城学院大学教授  編集担当:サーチナ・メディア事業部)


 内容的にはいいのだが、人為的に何でも操作できると思っていることに大きな落とし穴がある。
 100年に1回の地震に耐えるようにしたのに、数百年に一度という津波がきたので今度はそういう津波に対しても防御をしないといけないということになる。
 つまり考えの根本には自然というものは人間の頭で制御できるものだというという傲慢がある。
 増えたものは減る。
 特に急増したものはダイナミックに減っていく。
 あたりまえのことが、当たり前に起こっているだけのことである。
 それが自然の営みである。
 DNAに刷り込まれた「種の保存」が動いているということである。
 これ以上の日本民族の急増は、日本民族そのものを滅ぼす、すなわち「種の保存」が危機にひんしてしまうということである。
 そのために、DNAが個体数の減少という形の動きに出ているということである。
 
 「総人口はわずか半世紀間で3分の2まで急減」とあり、それを憂いている。
 これ、おかしい。
 なぜなら、逆に考えると 「総人口はわずか半世紀間で1.5倍まで急増」した結果だということである。
 半世紀で1.5倍増えたなら、半世紀で2/3まで減るのは、単純計算的に辻褄があっているのではないだろうか。
 無限に人口が増え続ける日本や世界とは、「悲劇的未来」とみていいと思う。
 その悲劇を回避するために、自然生態系は人口減少を操作しているのではないだろうか。
 それを経済の数値のやりくりだけで、人類種の大本を論じようとするのは浅はかとしか思えない。



サーチナニュース  2012/04/17(火) 11:29
http://www.blogger.com/post-edit.g?blogID=2534559795219686534&postID=6215054905114316560

日本を滅ぼす超高齢社会―少子化は誰のせい?

 高齢化の直接の原因は少子化。
 これは誰でも知っていることである。

  いうまでもなく、高齢化をもたらす原因はほかにもある。
 たとえば平均寿命の伸長も重要な一因として考えられる。
 だが、高齢化を直接にもたらした最大の原因はやはり少子化である。

  では、少子化の直接の原因は何?
 一概に「これだ」と断言することは意外と難しい。
 専門家の間でも意見が分かれている。
 その原因は単純なものではないからだ。

  それにしても、大きく分けて、
 第一に、婚姻に関する意識や婚姻のあり方の変化、
 第二に、経済社会の変化
という二通りに分類することができるだろう。
 ここでは、さまざまな調査や研究で言及されているものを並べてみよう。

○「晩婚化」や「非婚化」の進行。
 婚外子の慣習や文化はあまり浸透していない日本では、結婚しなければ、子どもが産まれない。
 あるいは結婚が遅くなると、産まれる子どもの数は自ずと限られる。
 いずれにして、結果は少子化につながる。

○お見合い結婚の減少と恋愛結婚の増加。
 両者の最大の違いは、当事者の意思はどこまで尊重されるかである。
 恋愛結婚では親や兄弟、親族の関与がかなり排除されて、当事者の意思がパートナーの選びを最終決定する。
 いわゆる世間体の縛りから解放された恋愛結婚は結婚率を下げ、晩婚化をもたらすことになる。

○高学歴化の進行。
 日本の大学進学率は世界のトップクラスですでに50%を超えている。
 特に女性の高学歴化は目覚ましい。大学を卒業するとともに就職する。
 しばらくは仕事に慣れ、キャリア形成に励む。
 そうすると、結婚はどうしても20代後半ないし30歳頃になってしまう。
 さらに、自分のライフスタイルが固定化してしまうと、他人との結婚による自己世界の変容に拒絶反応を示すことは多くなる。 
 これは言ってみれば、「結婚の恐怖」から逃れようとする現象である。

○若者の付き合いの減少やコミュニケーション力の減退。
 テレビ、音楽プレイヤー、携帯電話などの普及は現代人のライフスタイルを一変した。
 その最大のポイントは、人と人の対面を極限まで「無用化」してしまったことだ。
 「文明の利器」の利便さをもっとも享受している若者は、今度は人と人の対面にかつてないほど「煩わしさ」を感じ、それを極力に排除しようとするようになった。
 その結果、結婚に至るまでの必要不可欠なステップである他人との付き合いやコミュニケーションは急速に崩れ去っていく。

  しかし、残念ながら、いまの人々はもっぱら「文明の利器」の利便さを享受するばかりで、その人間社会を根底から破壊してしまうような恐ろしさにほとんど無頓着だ。
 スティーブ・ジョブスに対する称賛喝采をみればわかるように、対面的な人間関係の崩壊に大きく貢献してきた「文明の利器」およびその発明家は類例のない偉大な存在として崇められている。

○所得格差の拡大に伴う低所得若者の増加。
 以上列挙した少子化の諸原因の中で、近年、もっとも注目されているのが、経済社会の要因である。
 つまり、多くの若者は所得が低いため、結婚できないということである。
 一方、この所得と結婚との因果関係は非常に怪しいものだと筆者は思っている。

  2011年5月11日、内閣府は2009年10月に実施した若者の結婚や家族観に関する調査結果を発表した。
 案の定、中では、少子化の要因の一つとして、「未婚化」や「晩婚化」、さらには「非婚化」と結婚にまで至らない人が増加していることが挙げられている。
 それによると、20代30代の男女とも約8割が結婚を望んでいるが、希望と実際では大きな差がみられる。

  ではなぜ結婚したくても、実際結婚に至らないのか。
 内閣府の調査は所得の違いにも焦点を当てており、その結果は以下の通りである。

  一つは、年収別婚姻・交際状況である。
 男性の「既婚」(結婚3 年以内)は、20 代30 代では年収300 万円未満が8~9%で最も低く、年収300万円以上になると約25~40%弱となり、大きな開きがある。
 全体的には、年収が上がると男女、20 代30 代とも「既婚」が増える傾向だが、600 万円以上の20 代男性、30 代女性は、「既婚」の割合が低い。
 20 代女性は年収300 万円以上あると、「恋人あり」が40~50%で、20 代男性より高い。

  もう一つは、婚姻・交際状況別年収である。
 男性では、「既婚」、「恋人あり」、「恋人なし」、「交際経験なし」の順で年収300 万円以上(「年収300 万円以上600 万円未満」と「年収600 万円以上」の合計)の割合が多く、「交際経験なし」では過半数が年収300 万円未満である。
 女性では、「既婚」で4 割以上の人が「収入が無かった」としているが、それ以外では男性同様「恋人あり」、「恋人なし」、「交際経験なし」の順で年収300 万円以上(同上)の割合が高い。

  近年、「所得が低いと結婚ができない」とか、「所得が少ない人は結婚が難しい」とかいう見方が強まっている。
 しかし、内閣府の調査結果からもわかるように、結婚・交際状況と所得との間には確かに一定の相関関係が存在するが、両者は必ずしも正比例しているとは言えない。
 言い換えれば、所得の低い人は結婚が難しいという見方は短絡的なものにすぎず、まだ十分な裏付けが得られていないのだ。

  よく考えてみると、所得が低いから結婚ができないというのはもともと可笑しな話である。

  人類の歴史において、現在よりはるかに貧しい時代があった。
 あるいは今の世界で日本よりずいぶん貧しい国はいっぱいある。
 所得が低いため結婚ができないような人はいつでもどこでもいるが、それは決して普遍的な現象ではない。
 逆に、生活が貧しくても、結婚し、子どもを産む、というのがむしろ脈々と流れている人類の本来の姿である。

  貧しさゆえに結婚が出来ないという見方はよくワーキングプアやフリーターを引き合いに出す。
 いわく、
 「ワーキングプア、フリーターだから、結婚する経済力がない。」
という。

  果たしてそうなのか。
 筆者に言わせれば、もし経済力を問題視するならば、年収200万円未満の人もちゃんと結婚ができるはずだ。
 なぜなら、結婚は1人ではなくて、2人のことである。
 2人分の収入を合わせれば、年収は300万円以上になる。
 年収300万円以上もあれば、子ども1人を産んでも、一家の生活はちゃんとできるはずである。

  所得水準は結婚率に影響する経済的要因の一つであることは間違いないが、それほど重要な要素ではない。
 結婚する気があるかどうか、その意識は強いかどうかはむしろ決定的な要素だと筆者は思う。

  確かに、女性には「上方婚」、男性には「下方婚」のような傾向がある。
 つまり、女性は自分よりもランク上の男性と結婚したがる。
 逆に、男性は自分よりもランク下の女性と結婚したがる。
 そうすると、学歴や所得の低い男性は結婚相手の女性が少ないことになる。

  しかし、これは絶対的なことではない。
 というのは、結婚でも需要と供給の原理が存在する。
 特に日本では、男女の比率は歪んでいないし、理論的に男性にとっても女性にとっても結婚相手の数が揃っているはずである。
 また、所得の低い人は男性だけではなく、女性もいる。だから、経済力をもって結婚の状況を説明するには明らかに限界があるといえる。


(執筆者:王文亮 金城学院大学教授  編集担当:サーチナ・メディア事業部)


 相変わらず、少子化の原因を社会条件に求めている。
 これではいつまでたっても答えは出ない。
 答えがないからどうしようと考える。
 でもない答えをいくら探しても出てきない。
 
 少子化の原因を2通りに分類できるという。
 では、「少子化を生み出した原因の原因とは何?
 ?????
 また、もとの黙阿弥になる。
 どうどう巡り。



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2012年3月18日日曜日

ある国の繁栄と崩壊の物語−「ユートピアの崩壊」

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● ナウル共和国



BLOGOS 2012年03月16日 22:17
http://blogos.com/article/34249/?axis=p:0






ある国の繁栄と崩壊の物語−「ユートピアの崩壊」

 ナウル共和国。
 太平洋に浮かぶ、国土面積がわずか21km²の独立国家でバチカン、モナコに次いで小さく人口も1万人程度しかいない。
 この国がたどった歴史はまるで寓話のように"よくできたストーリー"であり、作り話のように思える。
 しかし、本書で詳しく語られるナウルの物語は純然たる実話です。
 全国民へのベーシックインカム支給、税金はタダ、電気代、病院代も無料、結婚すると新居を国が与えてくれる。
 加えて、国民所得は世界トップレベル。
 しかし、繁栄は長続きせず、富、文化、環境を失い、石器時代に戻ろうとしています。
 ギリシャ問題など比較にならない、現代における史上最大の破綻国として、この小さな共和国は名を残すことになるでしょう。

 この富の源泉はリン鉱石です。
 膨大な時間をかけてアホウドリを始めとする海鳥の糞が堆積されることで生成されるこの資源は、良質な化学肥料の原料となるため高値で取引されます。
 島全土で採掘が可能なこのお宝を彼らはとにかく掘りまくりました。
 その結果、1人あたりのGNPベースで日本が1万ドル弱、米国でさえ1万4千ドル程度だった1980年代初頭に、ナウルは2万ドルを誇るまでになります。

 「リン鉱石立国」として1968年に独立国家となった彼らの繁栄は、無計画な採掘により15年と持ちませんでした。
 採掘できる資源には限りがあることくらい、彼らでも分かってはいたのです。
 リン鉱石で稼いだお金の半分は国民に分配され、残り半分は政府により国外への投資に向かいました。

 国民は一周30分で回れる狭い国土に不要だと思える高級外車を買い漁り、食事は外食しか行わなくなり、海外にショッピングに出向き散財しました。
 驚く事に彼らは働いて稼ぐことを知りません。
 欧州諸国に"発見"される前は主に漁業で自給自足の生活をしていたのですが、イギリスの植民地時代には強制労働に徴用され、そして独立後はリン鉱石の輸出により何もしなくてもベーシックインカムで金が勝手に口座に振り込まれるようになりました。
 リン鉱石の採掘作業を行うのは専ら中国人などの出稼ぎ労働者達であり、小売りや外食店を営むのも外国人達。
 彼らはただ消費するだけでした。
 その結果、富は失っても、いまだにダントツで世界一の肥満国(2008年のWHOの調査によると、国民の79%が肥満)であり、多くの国民が糖尿病で苦しんでいます。
 リン鉱石が枯渇し、国に唯一あった国立銀行も破綻して預金の引き出しも出来なくなった今では、働いて稼ぐ経験をしたことがない彼らは、生きていくには漁業による自給自足の生活に逆戻りするしかないのです。
 かつての遠い祖先が行っていたように。

 政府は何をやっていたのでしょうか。
 先に書いたように、採掘できる資源には限りがあることくらい、彼らでも分かってはいたのです。
 しかも、1990年代から2000年代初頭には掘り尽くしてしまうことが、独立の頃から分かっていたといいます。
 その対策として、政府がやったことは、海外への投資です。
 オーストラリア、ニュージーランド、ハワイなどのホテルやマンションといった不動産をとにかく買いまくりました。
 リン鉱石しか資源がなく、狭く観光にも適さない国家の取り得る選択肢として海外へ目を向けるのはある意味必然だし、それしかないでしょう。

 結局、これも失敗でした。
 財務大臣でさえも、ほとんど金融知識をもたない素人だったため、海外からやってくるあやしげな連中に手玉に取られ、多くの資金が知らぬ間にどこかに消えてしまう始末。
 リン鉱石もダメ、海外投資もダメとなって、ついには国家ぐるみで犯罪を助長する行為に手を出し(マネーロンダリング、不法パスポート発行等々)糊口を凌ごうとするのですが、焼け石に水。
 その上、当然ながら世界的な非難を浴びてしまう。

 ナウルの状況はダイヤモンド著の文明崩壊で語られるイースター島の崩壊の物語を彷彿とさせます。
 ナウルと同じ太平洋の小島イースター島は、無計画な開発と環境破壊を続けた結果として、ついには資源を消費し尽くして文明が消滅してしまい、島民の生活は石器時代に戻りました。
 両者の大きな違いは、イースター島は他の文明と隔絶され閉鎖された空間に存在し、また、森林破壊等が国土に与える影響を科学的に分析・理解できる時代ではなかったのに対して、ナウルは地理的にはイースター島と同じく世界の果てに位置するにせよ、他文明と隔絶するどころかむしろ積極的にグローバリゼーションの波に乗って行き、それに飲み込まれた結果として崩壊に向って行っている点です。
 また、それが持続可能ではないことも彼らには分かっていた(けども止められなかった)という点も見逃せません。
これはナウルだけの問題なのか、考えさせられます。




Wikipediaより。

 ナウル共和国(ナウルきょうわこく)。
 通称ナウルは、太平洋南西部に浮かぶ珊瑚礁のナウル島にある共和国で、イギリス連邦加盟国である。
 国土面積は21km²であり、バチカン市国、モナコ公国に次いで面積が小さい。
 また人口も、国際連合経済社会局人口部の作成した『世界の人口推計 2010年版』によると10,210人であり、バチカン市国、ツバルに次いで人口が少ない。

 現在、人口は10,131人で、住民は、ナウル人が58%、その他の太平洋の島の出身が26%、華人が8%、ヨーロッパ人が8%である。
 面積は21km²。

 アホウドリを始めとする海鳥の糞の堆積によってできたリン鉱石の採掘によって栄えた。
 世界で最も高い生活水準を享受し、税金を徴収されず、医療、教育は無料、年金制度(老年年金ではなくベーシックインカムとして全年齢層に対する給与としての支給)を始めとした手厚い社会福祉を提供していたが、20世紀末に鉱石が枯渇しそれらはすべて破綻、基本的インフラを維持するのでさえ困難な深刻な経済崩壊が発生している。

 かつては漁業と農業で生計を立て貧しいながらも貧富の差もなく温和な生活を送っていた。
 しかしながらリン鉱石の輸出によりもたらされる不労所得が生活や文化を大きく変えてしまった。
 20世紀初頭から末までは鉱石の輸出によって、オーストラリアとニュージーランドを除くオセアニア諸国のなかではもっとも経済的に繁栄し、世界で最も高い国民所得を誇っていた。
 無税で、医療、教育制度は全て無料であり、全年齢層に年金が支給されていた。
 当時はほぼすべての食料品と工業製品の調達はもちろん、政府職員を除くほぼすべての労働者も出稼ぎ外国人に依存しており、国民は働く必要がほとんどない状態だった。
 食事も中国人の経営するレストランで三食済ますといった生活だった。
 貿易依存度は輸出、輸入とも110%という値だった。

 現在は島内の雇用については失業率が90%に達するとされ、2007年に日本テレビの『世界の果てまでイッテQ!』の取材班が訪れた際には、日中の街中を無為にうろつき回る多数の島民の姿が映し出されていた。
 これは1世紀近くにわたりリン鉱石の採掘権のみで働かずに収入を得ていたため、ほとんどの国民が労働を知らず、勤労意欲もないためである。
 これに政府は歯止めをかけようと現在国内の小学校の高学年で働き方を教える授業を行い、将来の国を担う子供たちの労働意欲を確かにしようという対策がなされている。
 ただし企業そのものさえほとんど存在しない上、インフラストラクチャーが整備されておらず、外国企業の誘致さえままならないため、成人男性に関しては何の対策も施せない状況が続いている。

 オーストラリア政府はナウル国民に市民権を付与する旨申し出たが、ナウル政府はそれを保留している。
 経済的には崩壊同然だが、元来楽観的な国民性故に平和な生活が続いている。







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