2012年3月19日月曜日

日本を滅ぼす超高齢社会

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サーチナニュース 2012/03/19(月) 10:05
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0319&f=column_0319_006.shtml

日本を滅ぼす超高齢社会
衝撃的な将来人口推計[忘れ去られた『種の存続』]

  日本の運命は超高齢社会の行方にかかっている。
 この「闇の深淵」への突進にブレーキをかけなければ、日本は滅ぶ。

  これは、私がこのシリーズを執筆するにあたって冒頭で述べておきたい結論である。
  今年1月30日、国立社会保障・人口問題研究所はふたたび衝撃的な将来人口推計を発表した。

  「衝撃的」といった理由は改めて強調する必要もないかもしれないが、
 以下の3点に集約される。

①. 第一に、日本の総人口は減少の一途を辿る。
 いや、それどころか、がくんと減ることになる。

  日本の総人口は2010年には1億2806万人で、世界でも10本の指に入る人口大国である。
 しかし、2005年に始まった人口減少は一向に止まらず、30年に1億1662万人となり、48年には1億人を割って9913万人となり、60年には8674万人になるものと推計される。
 つまり、2060年までの50年間で、日本の総人口は4132万人も減ってしまう。
 比率で言うと、約3分の1相当(32.3%)の人口がこれから消えていくというのだ。

  これは世界範囲で見ても、類例のない異常現象としかいいようがない。

  人類の歴史が証明したように、人口が大幅に減るような国は滅ぶ可能性が極めて高い。
 日本はその二の舞にならない保証はどこにもない。

②. 第二に、人口構造の高齢化はより一層進み、年少人口・生産年齢人口と老年人口の逆転現象が起きる。

  65歳以上を高齢者、あるいは老年人口と呼ぶのに対して、0~14歳を年少人口、15~64歳を生産年齢人口としている。
  まず、この三者の総人口に占める比率をみてみよう。
 2010年、年少人口は全体の13.1%、生産年齢人口は63.8%、老年人口は23.0%だったが、50年後の2060年には、年少人口は9.1%、生産年齢人口は50.9%、老年人口は39.9%へと推移していくことになる。
 特に日常生活のなかでよくいわれる高齢化率はなんと39.9%にもなってしまう。
 つまり、10人中、4人は高齢者ということだ。

  次は、この三者の数の変化である。
 2010年、年少人口は1684万人、生産年齢人口は8173万人、老年人口は2948万人だった。
 しかし、50年後の2060年になると、それぞれ791万人、4418万人、3464万人へと変わる見通しである。
 つまり、老年人口が516万人増える(増加率17.5%)一方、年少人口は893万人、生産年齢人口は3755万人も減少する。両者はいずれも半減するという計算である。

  生産年齢人口は文字通り、経済活動の主役で、生活の必需品をはじめ人びとが生きていくために欠かせないものを創り出す原動力である。
 そして年少人口は未来の生産年齢人口になる。
 働く人、およびその予備軍がこれほど少なくなると、その国は滅びを免れがたいと思われても仕方ない。

③. 第三に、合計特殊出生率は低いままで推移し、上向く可能性がない。

  合計特殊出生率は、一人の女性が一生に産む子供の平均数を示す指標である。
 移民の流出入がなく、死亡率が減少しないという仮定のもとで、女性一人当たり2.1という合計特殊出生率は人口の長期的な安定性を確保することになる。
 それを下回れば、将来、人口の減少が起きる。

  周知のとおり、日本の合計特殊出生率は先進国のなかで最低水準である。
 今回の推計によれば、今後も低いままで推移していくと見られる。
 具体的に、2010年に1.39だった合計特殊出生率は2024年に最低値1.33を経て、長期的には1.35に収束する。

  相当厳しい数値だなと誰しも感じるだろう。
 それにしても、この推計は甘すぎる。
  歴史を振り返ってみよう。
 1989年に急落した「1.57ショック」をきっかけに政府は少子 化対策に取り組んできた。
 しかし、効果はほとんどなく、その後も下降線を辿っていった。
 2005年には史上最低の1.26まで落ち込んだ。
 2010年の1.39まで回復したのはまさに奇跡だった。

  同じ東アジアの国・地域を見渡すと、日本より低いところは結構ある。
 たとえば、隣の韓国は1.19(2009年)、台湾は1.0(2010年)、シンガポールは1.22(2009年)の低水準である。
 これらの国・地域はいずれも儒教の影響が強いのに、ここまで下落してきたわけだから、日本はそこまで行かない保証はないと断言したい。

  また、合計特殊出生率は人口の年齢構造に依存するというわけではないが、出産のタイミングの変化によって影響を受けるとされる。
 このことは「母親の平均初産年齢」によって測定される。
 日本の初婚年齢の上昇につれて、女性の初産年齢もどんどん高くなっている。
 初産年齢が高まると、産む(産める)子どもの数が減るのは必至である。
 なのに、なぜ日本の合計特殊出産率は1.35に収束するといえるのか、国立社会保障・人口問題研究所の推計は説得力が著しく欠けている。

  ところで、この人口動態は何を意味するかというと、
 「日本は滅亡する」という一言に尽きる。

  決して大袈裟なことを言って人を脅しているわけではない。
  まず、経済活動に従事する人の数が大幅に減少するにつれて、経済規模は縮小し、生産と消費の活力は萎み、生活必需品の賄いでさえ困難な状況に陥る。

  次に、社会保障・福祉、教育などの財源になる税金と社会保険料を納める人が完全に不足する。
 50年後、日本の社会保障制度、特に「国民皆保険・皆年金」体制、および教育システムは間違いなく崩壊してしまう。

  第三に、国の防衛を担う若者がいなくなる。
 その際、日米同盟を解消するどころか、むしろアメリカ軍に守ってもらうしかない。
 将来の日本はますますアメリカの言いなりになることは火を見るよりも明らかだ。

  国立社会保障・人口問題研究所の推計は社会政策や移民政策が根本的に変わらないことを前提に行っている。
 このままでは、日本は確実にこのようなとんでもない社会へ突入していく。

  「税と社会保障の一体改革」を議論する際、
 政治家、官僚、そして国民はなぜ、国家存亡の危機感を共有しないのか、
本当に不思議でしょうがない

  日本は世界屈指の人口大国であり、先進国のなかでもアメリカに次ぐ規模の人口を擁する。
 50年後には総人口が8000万人程度まで減少しても十分やっていける。
 なのに、いったいなぜ「滅ぶ」と言うんだい?

  確かに、もっとも豊かな国々は、総人口はそれほど多くない。
 日本人が憧れている北欧諸国の人口もだいたい数百万人程度。
 ほかに、地球上、人口数十万人の国もある。
 近年「世界一幸せな国」と言われ注目を集めているブータンは約70万人しかない。

  国として成り立つ条件は、人口の数ではない。
 しかし、総人口はわずか半世紀間で3分の2まで急減、国民10人中4人が高齢者というような国は、国として成り立たなくなる。
 その意味で、「日本は滅ぶ」と言っている。

  日本以外の先進国の多く、あるいは中国など一部の発展途上国も高齢化が進んでいる。
 ただし、これほど「闇の深淵」へ突進している国はどこにもない。
 高齢化率が日本に近似する先進国もあるものの、いずれも移民政策を確立しており、移民の受け入れによって自国の人口数や人口構造を調整することが可能だ。

  人口数の急減と人口構造の超高齢化を招いたのは、結婚しない、子どもを産まないことである。

  われわれは動物の頂点に達した人類であり、私たちの中には生き物すべてが持っている「種の存続」という根本的な本能があるといわれている。

  人間の根本的な本能といえば、食欲と性欲である。

  中国の哲学者・孟子は2000年前に「食、色、性なり」という名言を残した。
 「食」とは食べること、「色」は性欲を満たすこと、「性」とは本性、つまり本能である。
 食べることと性欲を満たすことは人間の根本的な本能である。
 このごく当たり前のことを端的に言い表しているのだ。

  われわれ個・個人の存続は食べることが欠かせない。
 そして人類あるいは人間社会の存続、つまり、「種の存続」は性欲を満たす、およびそれに伴い子孫を残すことなしではありえない。

  ところが、奇妙なことに、最近の日本では、「草食系」「セックスレス」といった流行語が示すように、人間の根本的な本能がどんどん弱まっているように見える。
 しかもマスコミや出版業界などはほとんど興味本位でそれらを取り扱っているだけで、「種の存続」と結び付けて議論することはまったくない。

  現代社会、とりわけ民主主義の国では、個人の自由が最大限に尊重される。
 言い換えれば、個人の自由の尊重は現代社会の基盤である。
 人間の根本的な本能をどう満たすべきか、あるいはどう位置づけるかなども、基本的に個人の自由という範疇の問題になる。

  その意味で、結婚(するかしないか)、出産(産むか産まないか、何人産むか)といったことも基本的に個人の判断に任されるべきことといえる。

  とはいうものの、こういった個人の自由は果たして無条件で認められるべき絶対的な価値なのか、これをめぐってはすでに無数の議論が行われてきた。
 ここでは、「種の存続」という視点から、日本の超高齢社会を考えてみる。

  「種の存続」については実はいろいろな誤解がある。

  子孫繁栄のことを言っているだろう。
 遠い将来のことだから、いまの私と関係ない。
  私が結婚、出産しなくても、他人が結婚し、子どもを産むから、大丈夫だよ。

  本当にそうなのか。
 「種の存続」は将来のことでもなければ、他人のことでもない。
 一人ひとり、人間すべてが関わり、それを可能にしなければならないことである。
 例として社会保障を挙げてみよう。

  現代社会では、「種の存続」を可能にするファクターは社会保障ほど重要なものはない。
 社会保障といっても、漠然とした言葉で、
 「社会保障って私はほんとうに使っているの?」
と思う人さえいる。
 ご安心ください、あなたも使っている。
 子どもなら、お母さんのお腹にいた時に検診を受けていたし、今や学校保健や医療サービスを使っている。
 それらはすべて社会保障の一部である。若者や中高年層、高齢者もみんな程度や制度の違いこそあれ、利用している。
 生活保護、健康保険、雇用保険、労災保険、年金保険、介護保険、児童手当、福祉サービス、等々、すべてが社会保障のなかに入っている。

  最近、
 「税金はどこでどうやって使われているかわからない。
 だから、払いたくない」
という声がよく聞こえる。
 行政側の説明は十分でないということもあるが、国民として勉強不足という点もしっかり反省しなければならない。
 上下水道、市営バス、公立学校など、われわれの毎日の生活を支えてくれている公共サービスは税金で賄われている。
 役所に行って書類を発行してもらったり、福祉サービスの種類や手続きを案内してもらったりする。
 そこで働く職員の給料も税金から支払われている。
 インターネットで調べればわかるようなこともずいぶんと多い。

  社会保障は様々な制度を実施するために、財源を必要とする。
 その財源は税金と社会保険料に大別される。
 税金にしろ、社会保険料にしろ、空から降ってきたものではなく、人が納めるものである。
 納める人がいなかったら、あるいは少なくなったら、社会保障はガタガタとなり、崩壊する。

  社会保障財源の確保はますます困難な状況になっている。
 そんななか、借金(国債)を増やす以外に、制度間の調整、つまり、この部分を削ってほかのところへ持っていく。
 これは現在日本政府が必死でやっていることである。
 しかし、こんなやり繰りをいくらしても、財源減少という現実はまったく変わらない。

  社会保障崩壊の危機は一時的には一部の国民に影響を及ぼす。
 例えば、生活保護の適正化がより一層進められ、生活保護を受けられる人が少なくなる。
 あるいは、年金財政の深刻化に伴い、年金給付額が引き下げられる。しかし、その影響はやがてすべての制度、すべての国民に広がるはずである。

  いまは社会保障なしで生きていけない時代。
 日本ではほとんどすべての人が何らかの形で社会保障を受けて暮らしている。
 社会保障の崩壊は何を意味するか、端的に言えば、生活の崩壊、社会システムの崩壊、国家の崩壊である。
 この崩壊はすでに始まっており、このままでは日本人として「種の存続」すら脅かされるのだ。

  しかし、「種の存続」って生物学や人類学、人口学の人が考えることではないかという人も大勢いる。
 それは違うと思う。
 実際、社会保障の角度から見ても明らかなように、「種の存続」を意識しつつ自分の行動を決める、そんな時代はすでに来ている。
 それはまさに「個人の自由」と「種の存続」の葛藤から逃避できなくなったともいうべき時代だ。

(執筆者:王文亮 金城学院大学教授  編集担当:サーチナ・メディア事業部)


 内容的にはいいのだが、人為的に何でも操作できると思っていることに大きな落とし穴がある。
 100年に1回の地震に耐えるようにしたのに、数百年に一度という津波がきたので今度はそういう津波に対しても防御をしないといけないということになる。
 つまり考えの根本には自然というものは人間の頭で制御できるものだというという傲慢がある。
 増えたものは減る。
 特に急増したものはダイナミックに減っていく。
 あたりまえのことが、当たり前に起こっているだけのことである。
 それが自然の営みである。
 DNAに刷り込まれた「種の保存」が動いているということである。
 これ以上の日本民族の急増は、日本民族そのものを滅ぼす、すなわち「種の保存」が危機にひんしてしまうということである。
 そのために、DNAが個体数の減少という形の動きに出ているということである。
 
 「総人口はわずか半世紀間で3分の2まで急減」とあり、それを憂いている。
 これ、おかしい。
 なぜなら、逆に考えると 「総人口はわずか半世紀間で1.5倍まで急増」した結果だということである。
 半世紀で1.5倍増えたなら、半世紀で2/3まで減るのは、単純計算的に辻褄があっているのではないだろうか。
 無限に人口が増え続ける日本や世界とは、「悲劇的未来」とみていいと思う。
 その悲劇を回避するために、自然生態系は人口減少を操作しているのではないだろうか。
 それを経済の数値のやりくりだけで、人類種の大本を論じようとするのは浅はかとしか思えない。



サーチナニュース  2012/04/17(火) 11:29
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日本を滅ぼす超高齢社会―少子化は誰のせい?

 高齢化の直接の原因は少子化。
 これは誰でも知っていることである。

  いうまでもなく、高齢化をもたらす原因はほかにもある。
 たとえば平均寿命の伸長も重要な一因として考えられる。
 だが、高齢化を直接にもたらした最大の原因はやはり少子化である。

  では、少子化の直接の原因は何?
 一概に「これだ」と断言することは意外と難しい。
 専門家の間でも意見が分かれている。
 その原因は単純なものではないからだ。

  それにしても、大きく分けて、
 第一に、婚姻に関する意識や婚姻のあり方の変化、
 第二に、経済社会の変化
という二通りに分類することができるだろう。
 ここでは、さまざまな調査や研究で言及されているものを並べてみよう。

○「晩婚化」や「非婚化」の進行。
 婚外子の慣習や文化はあまり浸透していない日本では、結婚しなければ、子どもが産まれない。
 あるいは結婚が遅くなると、産まれる子どもの数は自ずと限られる。
 いずれにして、結果は少子化につながる。

○お見合い結婚の減少と恋愛結婚の増加。
 両者の最大の違いは、当事者の意思はどこまで尊重されるかである。
 恋愛結婚では親や兄弟、親族の関与がかなり排除されて、当事者の意思がパートナーの選びを最終決定する。
 いわゆる世間体の縛りから解放された恋愛結婚は結婚率を下げ、晩婚化をもたらすことになる。

○高学歴化の進行。
 日本の大学進学率は世界のトップクラスですでに50%を超えている。
 特に女性の高学歴化は目覚ましい。大学を卒業するとともに就職する。
 しばらくは仕事に慣れ、キャリア形成に励む。
 そうすると、結婚はどうしても20代後半ないし30歳頃になってしまう。
 さらに、自分のライフスタイルが固定化してしまうと、他人との結婚による自己世界の変容に拒絶反応を示すことは多くなる。 
 これは言ってみれば、「結婚の恐怖」から逃れようとする現象である。

○若者の付き合いの減少やコミュニケーション力の減退。
 テレビ、音楽プレイヤー、携帯電話などの普及は現代人のライフスタイルを一変した。
 その最大のポイントは、人と人の対面を極限まで「無用化」してしまったことだ。
 「文明の利器」の利便さをもっとも享受している若者は、今度は人と人の対面にかつてないほど「煩わしさ」を感じ、それを極力に排除しようとするようになった。
 その結果、結婚に至るまでの必要不可欠なステップである他人との付き合いやコミュニケーションは急速に崩れ去っていく。

  しかし、残念ながら、いまの人々はもっぱら「文明の利器」の利便さを享受するばかりで、その人間社会を根底から破壊してしまうような恐ろしさにほとんど無頓着だ。
 スティーブ・ジョブスに対する称賛喝采をみればわかるように、対面的な人間関係の崩壊に大きく貢献してきた「文明の利器」およびその発明家は類例のない偉大な存在として崇められている。

○所得格差の拡大に伴う低所得若者の増加。
 以上列挙した少子化の諸原因の中で、近年、もっとも注目されているのが、経済社会の要因である。
 つまり、多くの若者は所得が低いため、結婚できないということである。
 一方、この所得と結婚との因果関係は非常に怪しいものだと筆者は思っている。

  2011年5月11日、内閣府は2009年10月に実施した若者の結婚や家族観に関する調査結果を発表した。
 案の定、中では、少子化の要因の一つとして、「未婚化」や「晩婚化」、さらには「非婚化」と結婚にまで至らない人が増加していることが挙げられている。
 それによると、20代30代の男女とも約8割が結婚を望んでいるが、希望と実際では大きな差がみられる。

  ではなぜ結婚したくても、実際結婚に至らないのか。
 内閣府の調査は所得の違いにも焦点を当てており、その結果は以下の通りである。

  一つは、年収別婚姻・交際状況である。
 男性の「既婚」(結婚3 年以内)は、20 代30 代では年収300 万円未満が8~9%で最も低く、年収300万円以上になると約25~40%弱となり、大きな開きがある。
 全体的には、年収が上がると男女、20 代30 代とも「既婚」が増える傾向だが、600 万円以上の20 代男性、30 代女性は、「既婚」の割合が低い。
 20 代女性は年収300 万円以上あると、「恋人あり」が40~50%で、20 代男性より高い。

  もう一つは、婚姻・交際状況別年収である。
 男性では、「既婚」、「恋人あり」、「恋人なし」、「交際経験なし」の順で年収300 万円以上(「年収300 万円以上600 万円未満」と「年収600 万円以上」の合計)の割合が多く、「交際経験なし」では過半数が年収300 万円未満である。
 女性では、「既婚」で4 割以上の人が「収入が無かった」としているが、それ以外では男性同様「恋人あり」、「恋人なし」、「交際経験なし」の順で年収300 万円以上(同上)の割合が高い。

  近年、「所得が低いと結婚ができない」とか、「所得が少ない人は結婚が難しい」とかいう見方が強まっている。
 しかし、内閣府の調査結果からもわかるように、結婚・交際状況と所得との間には確かに一定の相関関係が存在するが、両者は必ずしも正比例しているとは言えない。
 言い換えれば、所得の低い人は結婚が難しいという見方は短絡的なものにすぎず、まだ十分な裏付けが得られていないのだ。

  よく考えてみると、所得が低いから結婚ができないというのはもともと可笑しな話である。

  人類の歴史において、現在よりはるかに貧しい時代があった。
 あるいは今の世界で日本よりずいぶん貧しい国はいっぱいある。
 所得が低いため結婚ができないような人はいつでもどこでもいるが、それは決して普遍的な現象ではない。
 逆に、生活が貧しくても、結婚し、子どもを産む、というのがむしろ脈々と流れている人類の本来の姿である。

  貧しさゆえに結婚が出来ないという見方はよくワーキングプアやフリーターを引き合いに出す。
 いわく、
 「ワーキングプア、フリーターだから、結婚する経済力がない。」
という。

  果たしてそうなのか。
 筆者に言わせれば、もし経済力を問題視するならば、年収200万円未満の人もちゃんと結婚ができるはずだ。
 なぜなら、結婚は1人ではなくて、2人のことである。
 2人分の収入を合わせれば、年収は300万円以上になる。
 年収300万円以上もあれば、子ども1人を産んでも、一家の生活はちゃんとできるはずである。

  所得水準は結婚率に影響する経済的要因の一つであることは間違いないが、それほど重要な要素ではない。
 結婚する気があるかどうか、その意識は強いかどうかはむしろ決定的な要素だと筆者は思う。

  確かに、女性には「上方婚」、男性には「下方婚」のような傾向がある。
 つまり、女性は自分よりもランク上の男性と結婚したがる。
 逆に、男性は自分よりもランク下の女性と結婚したがる。
 そうすると、学歴や所得の低い男性は結婚相手の女性が少ないことになる。

  しかし、これは絶対的なことではない。
 というのは、結婚でも需要と供給の原理が存在する。
 特に日本では、男女の比率は歪んでいないし、理論的に男性にとっても女性にとっても結婚相手の数が揃っているはずである。
 また、所得の低い人は男性だけではなく、女性もいる。だから、経済力をもって結婚の状況を説明するには明らかに限界があるといえる。


(執筆者:王文亮 金城学院大学教授  編集担当:サーチナ・メディア事業部)


 相変わらず、少子化の原因を社会条件に求めている。
 これではいつまでたっても答えは出ない。
 答えがないからどうしようと考える。
 でもない答えをいくら探しても出てきない。
 
 少子化の原因を2通りに分類できるという。
 では、「少子化を生み出した原因の原因とは何?
 ?????
 また、もとの黙阿弥になる。
 どうどう巡り。



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