2012年3月25日日曜日

スーパー「世界ビッグ3」はなぜ日本で勝てないのか

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PRESIDENT ONLINE 2012年 3月22日 (木)
http://president.jp/articles/-/5747

スーパー「世界ビッグ3」はなぜ日本で勝てないのか
食文化の伝統が、天然の要塞となって海外の参入から守っている

著者 流通科学大学学長 石井淳蔵=文

 イギリスのテスコ、フランスのカルフール、アメリカのウォルマート――。
 圧倒的な調達力と優れた小売り技術を持つ彼らが、日本では苦戦を強いられたのはなぜか。
 その理由は「文化のバリア」であると筆者は説く。

■イギリスの綿が日本を席巻できなかった理由

 現在、静岡県知事を務められる川勝平太氏には、『日本文明と近代西洋――「鎖国」再考』(NHKブックス)という名著がある。
 明治初期のわが国近代工業の曙をテーマとするものだが、内容はわくわくさせる面白さがある。

 イギリスに100年遅れてスタートした明治期の日本の近代化。
 当のイギリスは、産業革命を契機とし綿工業の生産力を高め、19世紀から20世紀にかけて世界の市場に進出した。
 その圧倒的な力による攻勢に耐え、逆にアジア市場で主導権を奪ったのは日本の綿工業であった。
 100年遅れてスタートしたにもかかわらず、日本の綿工業は、どうして巨大な生産力と販売力を併せ持ったイギリス綿工業に対抗できたのか。
 不思議な話だが、川勝氏は、その秘密を解き明かす。
 結論だけ言うのも無粋な話だが、決め手となったのは、日本をはじめとする東アジアの衣服における文化・伝統による障壁の存在であった。
 同じ「綿」と言っても、生活における使い方や役割は、西欧と東アジアとでは大きく違っていた。
 イギリス産綿布は、いわば夏物といってよい薄地で、絹のごとくすべすべしていた。
 他方、国産綿布は堅牢で、冬の寒さを防ぐ厚地であった。
 この品質・用途の違いのために、イギリスの綿はその生産力にもかかわらず、日本・東アジア市場を席巻できなかった。
 世界の先進国へと駆け上がるのに力を与えた日本の綿工業が離陸するうえで支えになったのは、何世紀もの長い時間を経て育て上げた東アジアの衣服文化の伝統であったというわけなのだ。

 同じことは、21世紀の現代にも起こっている。
 欧米の小売企業が、なかなかわが国市場に進出・定着できず、逆に撤退する大手が目立つが、その一因はここにありそうだ。

 最近、テスコが撤退を表明した。
 同社は、イギリスを本拠地とする巨大スーパーマーケット・チェーン。
 売上高は7兆円を超え、日本のビッグツーのイオンやセブン&アイを大きく凌ぐ。
 アジア、欧州、北米の14カ国で店舗を展開し、日本には2003年に参入した。
 スーパーマーケットTESCOのほか、食品店「つるかめランド」を運営した。
 TESCOは、これまで8年間、日本の小売市場での定着を図ったが功を奏さず。
 採算が取れない日本での事業を売却することになった。

 同社は、CRM(顧客管理)の優れた手法を持っていることで有名だ。
 ポイントカードの購買履歴を使い、きめ細かい顧客分析を行って、購買傾向や好みを把握し、それを店頭の品揃え・陳列、プロモーションや顧客へのダイレクトメールに生かすことで集客力を高める手法である。
 日本でも、そうした試みをする先進的小売企業は少なくないが、そのお手本となっている。
 日本でその手法がどれだけ通用するのか見たかったのだが、使いこなすまでに至らなかったようだ。

■コモディティではなくブランドで選ぶ日本人

 世界で活躍する大手小売企業も、日本では苦戦する。
 こと食品に限定しても、世界2位のフランスのカルフールは7年前に撤退した。
 世界1位のアメリカのウォルマートも、なかなか調子が出ない。
 最近ようやく、西友を完全子会社にして巻き返しを図る。

 彼らは、圧倒的な規模を背景として世界的な調達力と優れた小売り技術を持っている。
 それにもかかわらず、わが国では橋頭堡さえ確立できない。なぜか。

 その理由として、もっとも重要と思われるのは、日本の生活者の食文化にありそうだ。
 われわれは、ほぼ毎日、鮮度の高い食材(生鮮3品と言われる鮮魚、肉、野菜・果物)を食べる。
 しかも、一口に鮮魚といっても、地域によって異なる多彩な産品と、季節ごとに異なる旬のものがある。
 野菜も、地域ごとに食する種類は大きく異なり、また季節ごとに食する種類は異なる。
 生鮮3品における「鮮度と多様性と旬」の存在は、わが国の伝統的小売業を形づくる基礎的要因だ。
 戦後生まれたチェーン経営を軸とする食品スーパーも、実のところこの
 「鮮度と多様性と旬」
の壁をなかなか越えることはできなかった。
 スーパーマーケットが出始めた頃、1960年代から70年代にかけて、
 「スーパーは、安かろう、悪かろう」
と言われたが、それはこの壁を越えることができなかったせいである。

 それを打ち破ったのは、関西スーパーでありサミットストアであった。
 彼らは、店舗内に広いバックヤードをとり、個人の職人技としてではなく組織として生鮮を扱う設備技術やノウハウを蓄積した。
 80年代のことである。
 その時期を境にして、それまで「鮮度と多様性と旬」の扱いにおいて圧倒的な優位を誇ってきた小売市場や商店街の生鮮3品の商店が、上記の食品に特化したスーパーマーケットとの競争に苦戦することになる。

 「鮮度と多様性と旬」のある商品を扱うための技術に加えて、もう一つ、速い商品回転率の経営を確立する必要がある。
 加工食品や日雑商品のように本部で一括して大量・安価に仕入れて、チェーン各店で売り減らすという手法は、この種の商品には通じない。
 できる限り在庫を切り詰め、次々に商品に入れ替えるスピードがカギになる。

 商品回転率志向の経営は、だが、世界の大手小売企業の目指す方向ではない。
 たとえば、世界のウォルマートと日本でポジションを確立したイトーヨーカ堂の回転率の違いを見ればわかる。
 02年のデータの比較だが、在庫回転率では、イトーヨーカ堂のほうが倍くらい高い。
 他方、販売管理費ではウォルマートが、売上高割合で10%ほど低い。
 この結果を見ると、ウォルマートが調達力とコスト削減力を背景にして競争優位を確保する経営であること、そしてイトーヨーカ堂は速い商品回転率で勝負していることがわかる(スレーター『ウォルマートの時代』日本経済新聞社)。
 回転率におけるこの大きな違いは、同じ小売業と言っても、やり方に根本的な違いがあることを示すものである。
 世界の大手小売企業が日本に適応しようと思えば、自らが展開してきた経営の流儀を根本から変えないといけないということになる。

 日本の生活者は、食べ物の「鮮度と多様性と旬」を評価する。
 その結果、
 第一に、独特の買い物行動が生まれる。
 鮮度の高い食材を求めて、ほぼ毎日買い物に出る。
 自家用車と大型冷蔵・冷凍庫という大量購買・長期保存の手段がほとんどの家庭に普及したが、高い買い物頻度の習慣はそれほど変化しない。

 第二に、食への繊細な好みを背景にブランドが食を支配する。
 魚とか肉とかといった大雑把な「コモディティ・レベル」で食材を選ばない。
 もっと繊細なレベル、たとえば神戸の霜降り、京の野菜、明石の魚、泉州の水ナス、新潟のこしひかりといった、いわば「ブランド・レベル」で識別する。
 それらブランドへの信頼は、強まりこそすれ、薄れる気配はない。

 こうした食文化が、独特の小売り活動を要請する。
 第一に、日々変化ある店頭への要請。
 それに応えて、小売店での商品入れ替えスピードは速い。
 第二に、地域ごとに異なる食材ニーズに応える店対応への要請。
 ローカル・スーパーが大手総合スーパーに対して互角の勝負をしているのは、故なしとはしない。
 「標準化された商品の週に一度のまとめ買い」

 「Every Day Low Price」
を標榜する欧米大手小売企業の戦略では、そうした要請に応えることはできない。

 食文化の伝統は、まさに独自の小売業を生み育て、そして海外からの参入の天然の要塞となって守っているのである。




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