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サーチナニュース 2012/03/06(火) 11:06
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0306&f=column_0306_010.shtml
世界共通語としての東洋的英語と西洋的英語の違いを知る
英語を社内公用語として採用する我が国の企業が増えてきているといわれます。
しかし,そこで使用される英語はどのような英語であるべきなのかについて議論が十分にされていません。
世界のビジネス公用語(BELF)としての英語のあるべき姿について考えてみたいと思います。
楽天やファーストリーテリングその他の日本企業が社内公用語を英語化すると公表し,すでに実践し始めていますが,そこで使用される,あるいはモデルとされる英語はどのようなものであるべきかについての議論があいまいであるように思います。
そのような議論がなされていない現状からすれば、彼らの目指す「英語」はネイティブが話し,書く英語ということなのでしょう。
しかし,本当にそれでよいのだろうか,という疑問を持たざるをえません。
英語という西欧の言語の持つ特徴をみてみましょう。
英語は,英米人の母語ですが,西欧人に共通する次のような特徴を持っているといえます。
①・演繹的なスタイルとアリストテレス的なレトリック
②・自己主張と個人主義を中心とする発想からなる表現
③・キリスト教の影響とその教義にもとづく哲学的思考
米国とEUの人口を合計すると8億人強になりますが,いずれの地域においてもその人口の80%はキリスト教徒です。
それゆえに,英語や他のヨーロッパ言語においても,その表現にはキリスト教特有の神の視点からものを見て,言い表すという特徴があるように思います。
2つの例をあげてみましょう。
英語の受動態を勉強するときに,Snow covers the earth.を受動態にせよ,という問題が出てきます。
あるいは,The earth is covered ( ) snow.のように,snowの前にカッコがあり,適当な前置詞で埋めよという問題であったりします。
この場合,byは間違いで,正しくはwithでなければならないのですが,なぜbyは間違いなのかの詳しい説明はあまりされません。
実は,
「大地が雪で覆われている」という状態をつくり出したのは神なのだ
という考えが基本にあるからなのです。
この英文の受動態は,正しくはThe earth is covered by God with snow.となります(大津栄一郎『英語の感覚(下)』岩波新書,42−43ページ)。
「神様が大地を雪で覆っている」という考え方にもとづいています。
日本で初のノーベル賞文学賞の受賞に輝いた川端康成の『雪国』の出だしは,
「国境のトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった」
となっています。
トンネルを抜けたのは,列車であり,この私小説の主人公である若きころの著者であり,乗客たちであり,それらが渾然一体となって,今まさにトンネルから外へと抜け出した光景を描いているわけです。
ところで,『雪国』が世界に知られ,ノーベル賞まで受賞するという栄誉を得るようになったのは,川端自らも認めているように,サイデンステッカーの名訳Snow Countryのおかげでした。
それでは,同書の出だしはどのようになっているのでしょうか。
次のように,原著とはかなり異なった表現になっています。
The train came out of the long tunnel into the snow country. The earth lay white under the night sky.
この英文を読むと,列車や乗客や主人公たちがトンネルを出ていくという状況ではなく,
天上にいる神が,そこからジオラマのような大地を眺めているような表現になっている
ことが分かります。
模型の山やトンネルがあり,真っ白なコットンを敷き詰めた大地があり,そのトンネルから今列車がちょうど出てきた,という描写になっています(この問題は川端のノーベル賞受賞以降,いろいろなところで取り上げられ,現在に至っても,ネット上で諸説が紹介されています)。
このような英語表現はサイデンステッカーの英訳だけではなく,小説,学術誌,新聞,雑誌などに使用される英文にもよく見られます。
英語や他のヨーロッパ言語は,このような感覚がその表現の基礎になっていると言っても決して過言ではないでしょう。
そうであれば,
キリスト教的考え方を持たないイスラム社会や東洋社会など
アジアにおける「世界の共通語としての英語」のあり方
は再考されなければならないのではないでしょうか。
片や8億の人口からなり,現在全体に困難な経済状態にある欧米と,今やその人口は40億人を超え,経済的に躍進めざましいアジアとでは,そこで
使用される英語のスタイルも異なっていて当然であるべき
です。
したがって,
英語をネイティブのように話したり,書いたりすることをその学習目的とすることは正しいことではない
といえると思います。
(執筆者:亀田尚己 同志社大学商学部・同大学院商学研究科後期課程教授 編集担当:サーチナ・メディア事業部)
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サーチナニュース 2012/03/23(金) 08:38
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0323&f=column_0323_007.shtml
ネイティブスピーカーとノンネイティブの立場の逆転現象
世界英語の使用者は、英語を第二言語として使用しているアフリカの国々やインドの人口増加とともに、年々増加の一途をたどっています。
英米人の英語とは異なる英語を話す人々が、ネイティブスピーカーをしのぐようになり、世界で使用される英語の質が問題となってきています。
今から50年ほど前までは、英語ネイティブスピーカーの数は、中国語を除いて、他の言語をはるかにしのいでいました。
しかし、今日ではネイティブスピーカーとしての英語母語話者の数は、スペイン語話者や、ウルドウ語とヒンズー語の話者たちよりも少なくなっていて、米国CIAの調査によってもその数は
「3億2千9百万人」
とされています。
それに対して75ヶ国の人々が日々英語の使用される環境にあり、その総人口は22億人になるとEnglish as a Global Language、 2nd Ed (02003)の著者であるクリスタルは述べています。
それらの国々に住む人すべてが英語を使用しているわけではないにしても、およそ
15億人から18億人の人々が実際に英語を使用して生活している
と言っても過言ではないというのが通説です。
著書の中でクリスタルは、インドの状態についても説明していますが、彼によれば、たぶんインドの総人口の3分の1の人々が英語で会話ができ、少なくとも3千人から多くて3億3千万人の人々が英語を話し、理解するといってもよいであろうと書いています。
彼は、BBCやCNNその他の放送やインターネットによる英語情報の急増などから、世界各地のノンネイティブ英語話者はさらに増えていくことであろう、そしてその結果、英語そのものが急速に変化していくに違いないと予想しています。
そのような状況からして、英語はもはやネイティブスピーカーの財産とはいえず、世界の人々の共有財産であるというべきであるという声も上がっています。
そのような時代を迎えている今日、国際ビジネス英語の役割や使命を考えるとき、使用される英語の意味は、1国や1地域といった限られた場所でのみ有効であるということでは不十分であり、その使用方法やその語句の意味にも、国際的な広がりが必要になってきます。
この問題に関しては、2つのことがいえることでしょう。
1つは、そこで使用される英語は、英米の人間にしか理解できないものであってはならず、リンガフランカ(共通語、あるいは共通の通商語)として広い地域にわたってより多くの人々に共通に理解されえるものでなければならないということ。
そして2つめは、言葉の意味には、必然的に人的あるいは地域的に特有な性格がそなわっていて、それがある意味では、英語の汎用性の阻害要因になるということです。
2つの実例を以下に上げて、その意味を簡単に説明しておきましょう。
数年前の話ですが、ハンガリー人の土木技師が、サウジアラビアで7―8ヶ国の技術者からなる国際チームのメンバーとして働いていたときのことです。
彼らはお互いに英語を使用して完璧に意思疎通ができるのに、そこにいた英国人の技術者とだけは、どうしてもうまく意思疎通ができません。
そのため、彼が代表者として、その英国人に対して、チームメンバーの総意であると前置きし、
「どうか、これからは、お願いだからみなに分かる英語で話してくれないか」
と申し出たとのことです。
国際ビジネス英語のあり方を考えた場合、この2つの事例のように英米人たち英語を母語とする人々には面白くない現象が出てくることは容易に考えられることでしょう。
しかし、英語の汎用性という面からは、英米人たちの寛恕と譲歩を願いたいものです。
別の機会ですが、フランスに留学していたフェンシングの選手である各国の大学生たちが、ある晩寄宿舎のラウンジで楽しそうに大笑いしながら話をしていました。
そこへ、やはり留学中の米国人の大学生が入ってきて、しばらくその会話を聞いていた後に、
「お前たちはとても楽しそうに話し合っているが、いったい何語で話をしているのか?」
と質問してきました。
何人かの学生たちが
「もちろん、みんなに分かる共通の言葉、英語に決まっているじゃないか」
と答えたところ、その米国人は唖然として、部屋を出て行ってしまったそうです。
次回には、そのような現象の具体的な事例をあげてさらにこの問題を説明していきたいと思います。
(執筆者:亀田尚己 同志社大学商学部・同大学院商学研究科後期課程教授 編集担当:サーチナ・メディア事業部)
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